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「神のお告げだ」“バルサ18億円移籍話”が破談も…FWジュニーニョとフロンターレの幸せな関係「べティスからの誘い…心は全く動かなかった」
posted2025/12/12 11:02
川崎フロンターレ時代のジュニーニョ
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Shigeki Yamamoto
川崎フロンターレで活躍したジュニーニョ。彼のフルネームは、カルロス・アルベルト・カルバーリョ・ドス・アンジョス・ジュニオール。
ブラジルでは、父親が息子に自分と全く同じ名前を付けたい場合、名前の最後に「ジュニオール(英語におけるジュニア)」と付け足す。そして、周囲の人々はその子を「ジュニーニョ(小さなジュニオールの意味)」と呼ぶことが多い。彼もそう呼ばれ、それがそのままフットボール・ネームとなった。
じつは僕、7人兄弟なんだ
――生まれも育ちも、ブラジル北東部サルバドールですね?
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「7人兄弟の上から6番目で、父親はリオの小クラブなどでプレーした元プロ選手。その後、バスの運転手をして一家を支えた。子供が多かったから、幼い頃はあまり裕福ではなかった」
――12歳年上の長兄ゼ・カルロスは、地元のバイーアなどでMFとして活躍し、ブラジル代表にも選ばれた名選手でした。
「この兄のお陰で、一家の暮らし向きが良くなった。僕も幼い頃から路上で近所の子供たちと一緒にボールを蹴り、『兄のようなプロ選手になりたい』と思っていた」
――そして1988年、10歳でゼ・カルロスも所属したバイーアのアカデミーに加わります。
「兄のことはクラブでは知られていたけれど、入団テストを受けた。数百人の中で、合格したのは僕を含めて数人だけ。U-10のチームに入った」
――当時の憧れの選手は?
「デネール。テレビで彼のドリブルとゴールを見て、大好きになった。毎日、路上や広場で彼のドリブルを真似たよ」(※デネール:小柄でほっそりしていたが、魔法のようなドリブルをが持ち味だった黒人選手。1994年、23歳で自動車事故のため早世したが、もっと長くプレーしていたらブラジルのフットボールの歴史を変えていたかもしれない逸材と称される)
バルサから約12億円の提示があったそうだが
――なるほど。道理で、あなたのプレーはデネールに良く似ています。
「そう言ってもらえると嬉しいな。そして1994年末、17歳でプロ契約を結んだ。1995年から試合に出始め、1996年にレギュラーになった」
――この年、ブラジルU-20に招集され、強化試合4試合に出場しています。

