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「妻とはずっと二人三脚」山瀬功治が振り返る25年のサッカー人生と妻・理恵子さん「仮に明日死んだとしても、全力で生きてきたよね」
posted2025/04/11 17:02

25年にわたるプロ生活に終止符を打つ決断をした山瀬功治(43歳)が、激動のサッカー人生を明かした
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Shigeki Yamamoto
「妻とはずっと二人三脚」
山瀬功治の隣には、いつも妻・理恵子さんがいる。
支えてくれる伴走者であり、一緒に戦う同志でもある。彼女の存在なくして、25年間にも及ぶプロキャリアはきっと成立しない。両膝の前十字靭帯断裂を含めたケガの連鎖を乗り越え、繰り返された契約満了にもめげなかった。
「嫁さんとはずっと二人三脚。一緒につくり上げていった感覚なんですよね。お互い、自分たちができる範囲内ではもう最大限やってきた。だから現役引退を発表して、みなさんが僕に“お疲れ様”と言ってくれたように、僕も妻に対してそういう思いなんです」
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ともに北海道出身で、浦和レッズ時代の2003年に結婚。元小学校教師の妻は夫のために栄養学を学び、料理研究家として活躍。山瀬にとってはマインドを変えてくれた人でもある。
「(中学時代に)ブラジル留学した影響なのか、自己責任が強すぎて“人は人、自分は自分”という考え方をしてきました。それを変えてくれたのが妻。サッカーをしていて、実はそこが凄く重要な部分でもありました。人間的にも成長して、随分とチームに目を向けることができるようになりましたから」
交流の幅もサッカーにとどまらなくなる。
5クラブ目となった京都サンガ時代には同じエリアに住む子供たちのアイドルとなり、家族間でつながってコミュニティの輪が生まれている。山瀬のサポーターが増え、スタジアムにも足を運んでくれた。
「それまではプライベートで交流を持つのはチームメイトをはじめサッカー関係の人ばかり。どこか線引きしちゃっていたところはあったと思います。でも京都に行って、サッカー関係なく(交流が)広がっていきました。いろんな方にお会いして、つながりを持つことって大事だなって思えたターニングポイントではありました」
2013年12月、徳島ヴォルティスとのJ1昇格プレーオフ決勝においてこんなエピソードがある。0-2で完敗し、自宅に戻った際「来年はもっと応援する」などとドアノブに子供たちの寄せ書きが掛かっていた。驚くと同時に胸が熱くなった。
アビスパを契約満了になったときには次の移籍先がなかなか決まらなかった。福岡大学や地元の高校に練習参加して、学生たちに混じって汗を流している。2月にようやく愛媛FCへの移籍が決まったときには大学生たちから胴上げで送り出されている。
妻からリスペクトされ、妻をリスペクト
いろんな出会いが山瀬の力となり、人間としてプレーヤーとしての幅を広げたことは言うまでもない。