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「ありがとう山瀬功治」敵チームから奇跡の横断幕…“J史上最長24年連続ゴール”山瀬功治は「わがまま移籍」でも、なぜサポーターに愛されたのか?
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二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/04/11 17:01

25年にわたるプロ生活に終止符を打つ決断をした山瀬功治(43歳)が、激動のサッカー人生を明かした
「先輩たちはいろいろとアドバイスしてくれます。でも家族ではないから、そこまでの介入もない。自分でどうにかするしかないという習慣はできました。一緒に留学している上の年代の先輩たちの考えに触れたことで早く独り立ちできたとは言えると思います」
自分でどうにかするしかない。この信条が山瀬をグイグイと成長させていく。
わがままを通して移籍の決断
プロ2年目の2001年にJリーグ新人王を受賞し、3年目には10番を任された。順調に成長を見せていくなかで2003年には浦和レッズに移籍。地元を離れてからはいくつものクラブを回ることになるが、彼は秘めた決意を抱いていた。
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「コンサドーレからレッズに移籍する際、(右膝前十字靭帯断裂の)ケガを抱えたままであり、チームからも残ってほしいと言われていたなかで、さらに成長していきたいという自分のわがままを通して移籍という決断を下しました。そうなれば今まで応援してくれた人に対して自分の成長した姿を見せる責任が僕には生じます。レッズから(横浜F・)マリノスに移籍したときも同じ。わがままを通す分、成長する姿を、元気にプレーしている姿を見せなければなりませんでした」
求められる役割を察知して自分のプレーに落とし込む。その姿勢はレッズでも、どのクラブでも変わらない。両膝の前十字靭帯断裂という大ケガにも負けず「成長して元気にプレーする」責務を果たすためには、それこそが己の生きる道でもあった。
そんな山瀬の現役生活において、異質に映るのが2005年から6年プレーした横浜F・マリノス時代である。ドリブラーとして覚醒し、一歩引いて周りを活かすプレーヤーだったのが逆に一歩前に出て周りから活かしてもらうプレーヤーに変貌を遂げたのだ。
「守備が堅く、組織的なチームだという印象があって、そこに個性を加えていくのも面白いのかなと感じていました。そんなときに昔、代理人の方に『山瀬と言えばドリブルだよね』と言われたのをふと思い出したんです。当時は自分のなかにそんなイメージはなかったので、受け流してしまっていたんですけど(笑)。やり始めたら、もう面白くて。スタンドも沸くし、これにはハマりましたね」
緩急をつけた独特のリズムから繰り出すゴリゴリ、バリバリのドリブル。何が爽快かって、必ずと言っていいほどシュートへの帰結から逆算してゴールに向かっていくから盛り上がる。追いかけてくる相手の前に入って邪魔をするのもうまい。プレーが評価され、イビチャ・オシム監督から日本代表に初招集され、2007年にはキャリアハイとなる11ゴールをF・マリノスで挙げている。
J最長「24年連続ゴール」の理由
プレーの、そして意識のモデルチェンジに見えて、実はそうではない。「求められる役割」の延長線上にあり、そこに責任感が加味されていた。