スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「競走部同期はコンサルに内定しました」“私大最難関”早大政経学部で箱根駅伝を3回走ったランナー「就活か、陸上か…迷いました」卒業後の進路は?
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/04 11:08
2024年1月、伊福陽太(当時3年)は自身2度目の箱根駅伝を走る
「本当に記憶がなくて、目が覚めたら母親が泣いていて、なにが起きたのかと思いました」
ダメージが心配されたが、箱根駅伝では同じ8区を任され、1時間4分56秒のタイムで区間5位と力をつけたことを証明した。
そして箱根が終わってからも練習の強度を緩めることなく、2月11日に行われた延岡西日本マラソンに出場。2時間9分26秒のタイムで初マラソン初優勝、当時の学生歴代6位、大会新記録をマークした。
ADVERTISEMENT
「うれしかったですね。練習してきたことが結果として表現できたので。42kmを走っても元気で、数時間後には宮崎名物、チキン南蛮を食べてました(笑)」
同期はコンサルに内定「就活どうしようかな…」
3年生の2月は、政治経済学部の周りの学生からは「内定をもらった」という声が聞こえ始めていた時期だった。自分もそろそろ進路を考えなければいけない。
「僕と同じで、一般組で入って2年生から箱根を走った菅野(雄太)は、早い段階でコンサルティング企業から内定をもらっていましたし、伊藤大志、石塚のふたりは競技継続を決めていました。どうしようかなと思っていましたけど、『やりたいことをやろう』という気持ちにはなっていました」
競走部には、卒業生が勤務する企業のオンラインの説明会などもある。
「企業の方の説明を聞いてみて、どうもこれは自分がやりたいこととは違うようだ、とは感じました。陸上を続けたい気持ちがハッキリしてきて、そうなると、いったん就職してからもう一度走りたいと思っても、トップの競技レベルに戻るのは無理なんですよね。だったら、自分が納得するまで競技を続けて、それから仕事に向き合う方がいいかなと思って」
そう考えていた時期に、初マラソン初優勝という結果を引き寄せた。これをきっかけに実業団から勧誘の話が舞い込んできた。
最後の箱根駅伝…まさかの“体調不良”だった
「優勝したことで、選択肢が広がりました。そんな時、一緒にスポーツジャーナリズム論を受講していた谷口さんという仲間から『代表を目指せる場所にいるのなら、やってみればいいじゃん』と言われて、実業団で走ることに決めました」

