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落合博満に星野仙一が激怒「あの1回だけだった」現場にいた中日選手が初証言「今だから言うけど…」星野監督の初優勝シーズン、鈴木孝政も怒鳴られていた
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/03/13 11:02

中日監督時代の星野仙一(1988年撮影)
「点差が開いてなければ、出番はなかったでしょう。池山(隆寛)と広沢(克己)という良い打者に投げさせてくれた。でも、(自分を)辞めさせたいのかなという気もしましたけどね」
西武との日本シリーズでは登録されたが、ベンチにすら入れない。1勝3敗で迎えた第5戦、西武球場での練習後に立川のホテルに戻った孝政は、伊東勤のサヨナラ打をテレビで見届けた。名古屋に戻る新幹線のビュッフェでやけ酒を呷っていると、マネージャーから「監督が呼んでいます」と声を掛けられた。
横に座っても、星野は何も話さない。孝政も一言も発しない。痺れを切らした星野がようやく切り出した。
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星野:……どうするんや。
孝政:もう1年やらせてください。
星野:そうか。来年はお前の好きなようにやっていい。
「親分にね、そう言われる悲しさってないですよ。(星野の決めた)ルールに従って、みんなと一緒に行動してきた。縛られて生活するのが、いかに楽かとわかりましたよ」
その時、チームで事件が…
孝政にとって、星野仙一はあくまで「仙さん」だった。面と向かって「監督」とは言えず、いつも名前を呼ばずに場を凌いでいた。しかし、2年という時間が「親分」と「子分」という距離を生んでいた。就任から「ワシは監督じゃ!!」と振る舞う星野の掌握術が、2人の関係性に変化をもたらしていた。
「次の年、一軍は初めて(豪州の)ゴールドコーストでキャンプをした。俺は呼ばれないと思っていたの。そしたら、メンバー表に丸がついていた。『あ、連れて行ってもらえるんだ』と。今まで『俺が選ばれないわけないだろ』と考えていたのに。これは、もうダメだなと」
孝政に“引退”の二文字が浮かんだ頃、星野と落合の確執がスポーツ紙を賑わせていた。
〈つづく〉
