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落合博満に星野仙一が激怒「あの1回だけだった」現場にいた中日選手が初証言「今だから言うけど…」星野監督の初優勝シーズン、鈴木孝政も怒鳴られていた
posted2025/03/13 11:02

中日監督時代の星野仙一(1988年撮影)
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
Kazuhito Yamada
落合博満には躊躇する青年指揮官も、現役時代はチームメイトだったベテラン・鈴木孝政には容赦なかった。星野仙一監督1年目の87年、先発で勝ち星を積み重ねた33歳の孝政は、オールスターにも出場。9勝目以降に足踏みするも、10月6日の阪神戦(甲子園)で、2桁勝利のチャンスが巡ってくる。その時、事件が起こった。
星野の“嫉妬”「あからさまだな…」
「4回まで0封なのに、交代を言い渡された。池田(英俊)コーチに『なんでですか!』と詰め寄りましたよ。でも、『監督も球団も10勝を認めるから』と言うだけ。5回から(小松)辰雄が投げたから、最多勝を取らせるためだとわかった。シーズン前、星野さんに『10勝したら監督賞を出す』と言われていて、宿舎に帰ったら100万円もらいましたけど、納得できなかった。9勝は9勝だもん」
火種は燻り続けた。シーズン最終戦、孝政は大量リードの6回からマウンドに上がる。最後まで投げ切れば、大台の通算100セーブにあと3つと迫れる好機だった。しかし、星野は6点リードの9回、抑えの郭源治をマウンドに送った。
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孝政:ちょっと待ってください。
星野:なんだ?
孝政:100セーブがあるんです。こんなチャンス、滅多にないから行かせてください。
星野:ダメだ!!
「17年の現役生活で、監督へのお願いはその1回だけ。郭にセーブは付かない場面だし、普通は続投させてくれるんですけどね。今だから言うけど、男のジェラシーだと思う。あからさまだなと。立場が逆だったら、きっと暴れてるでしょ(笑)」
当時、100勝100セーブは江夏豊、山本和行、斉藤明夫のみの大記録。孝政と同じく先発も抑えも経験した星野は、偉業間近の後輩を快く思わなかったのだろうか。