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星野仙一と落合博満の“不仲説”…落合が新幹線でピリついた“マンガ禁止令”「誰に言われたんだ?」2人の関係を知る中日OBの証言「クロマティの乱闘で…」
posted2025/03/13 11:01

1986年12月、中日への入団発表で握手する星野仙一監督(当時)と落合博満
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
KYODO
“闘将”のイメージをほしいままにした青年監督・星野仙一を冷静な目で見ていたベテランがいた。現役時代、快速球で鳴らして通算124勝、96セーブを挙げた鈴木孝政だ。1974年に巨人のV10を阻止した2人は、80年代後半に監督と選手という立場で再会する――。
「覚悟しとけ」
86年オフ、星野仙一は中日の監督就任会見で、ドスを効かせた。既に108勝、96セーブを挙げていた32歳の孝政は、現役時代に苦楽を共にした39歳の指揮官誕生をどう感じていたのか。
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「えらい力んでるなと思いましたよ。NHK『サンデースポーツ』のキャスターでいい感じに喋っていたし、若いのにいいのかなって。監督って呼べませんでしたね。会話する時も、なるべく名前を言わないで済むようにしていた。自分のなかで、仙さんは仙さんなんですよ」
星野仙一の祝儀袋に…驚きの金額
2人で最多勝を争った77年、星野が勝つと、孝政も後を追うという状態が続いた。
「ロッカーが隣で『てめえもしつこいな』と言われた(笑)。年齢的に自分はラストチャンスだから、譲れよと思っていたみたい。結局、広島の高橋里志さんがスルスルと抜け出して20勝で取ったんだけどね」
自己最多の18勝を挙げ、3年連続で救援タイトルを獲得した孝政は、オフに結婚。式を終えて数日後、祝儀袋の管理を任せていた父親が驚きの声を上げた。
「『星野、10万入れとったぞ!』って。当時、2桁なんて破格ですよ。他の人の額は聞いてないけど、歴代の監督もいる中で、選手なのに1人頭抜けていたみたい。親父は仙さんの額だけ言いましたからね。右ひじの治療で、オフに2人で大分で何日間も過ごした時もあった。俺はずっと運転手で付き人みたいだったけど(笑)」
同僚から監督に…気まずくなかった?
指揮官と選手は一線を引かなければならない。監督就任直後の浜松での秋季キャンプ、そう考えた星野はグラウンドで孝政を見つけると、「(手を)抜いてもいいけど、数だけこなせ」と直接、司令を下した。