プロ野球PRESSBACK NUMBER
「落合博満さんに会った。でも内容は口がさけても言えない」あれから36年、中日OB・鈴木孝政が明かす“落合造反事件”の真相…星野仙一に呼び出された夜
posted2025/03/13 11:03

中日時代の落合博満(1987年撮影)
text by

岡野誠Makoto Okano
photograph by
Makoto Kenmizaki
星野仙一との不仲説の発端は1989年1月17 日、長野・昼神温泉で自主トレを始めた落合博満の発言だった。
〈キャンプまでに体重が増えていたら罰金を取るというけど、取るなら取りゃいいじゃん。体重が増えて苦しむのは選手自身なのに、そのへんがオレは分からん〉(※1)
〈マイペースの人が生き残るのがこの世界。そういう人が偉くなって早く動けという。ホント面白えんだよなあ〉(※2)
騒動後、なぜ落合と会ったのか?
ADVERTISEMENT
中日移籍後の2年間、落合はチームと歩調を合わせて調整したが、無冠に終わった。そのため、ロッテ時代のスローペースに戻して、三冠王を狙うと公言した。会話の続きで出た言葉は一般論だったが、「首脳陣批判」と大きく取り上げるスポーツ紙もあり、2人の仲に火をつけた。
18日、星野監督は〈オレがその場にいたわけではないから、軽々と第三者の口から聞いて判断するわけにはいかんだろう〉(※3)と静観したが、20日に中山了球団社長が激怒。そして、21日に孝政、宇野勝、小松辰雄の3人が落合のもとへ駆け付けている。
記者に直撃された2人が口をつぐむ中、孝政は〈落合さんに会ったことは認める。でも、内容については口がさけてもいえない。勘弁して欲しい〉(※4)と頭を下げた。翌日、宇野は〈“騒動”が気になったから。それで出向いたんです〉(※5)と話している。
当時、3人の訪問は一連の騒動と絡められた。しかし、不可解な点がある。宇野のコメント通りであれば、当日からそう説明すればいい。そもそも、落合らしい“オレ流発言”に対し、年下の3人が自発的に行動を起こすだろうか。
一体、何があったのか。36年経った今、孝政が訪問の真相を明かす。
「オチを説得してこい」星野の指令だった
「仙さんの大スポンサーが尽力してくれて、オーストラリアでのキャンプが実現したんですよ。でも、落合さんは国内の二軍でのスタートを希望していた。チームの顔をなんとしても豪州に連れていかなきゃいけない。第一条件と言ってもいいくらいだった」
投手陣のフライト3日前の夜、親分の星野は子分の孝政、宇野勝、小松辰雄を自宅に呼び出し、「オチを説得してこい」と指令を出した。翌朝、3人は小松の車で長野に向かった。