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「良かった時の動きが忘れられなくて…」全中二冠、高校で16年ぶり高校新記録…元“高校最速ランナー”東洋大・石田洸介が陥った「天才ゆえの苦悩」
text by

和田悟志Satoshi Wada
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/28 11:01
中学時代は全中で1500mと3000mの2冠、高校時代は5000mで16年ぶりの高校新記録。東洋大の石田洸介は名実ともに世代No.1ランナーだった
一方で、石田には箱根駅伝を走りたいという夢もあった。
「箱根駅伝に憧れがあった以上、国内進学という選択は最善だったと思っています」
石田は長距離種目で多くの日本代表選手を輩出している東洋大学への進学を決めた。
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大学入学前に故障していたこともあって、1年目の前半戦は出遅れた。それでも、駅伝シーズンに入り戦列に復帰すると、前評判に違わぬ活躍を見せた。出雲駅伝は5区区間賞、全日本大学駅伝は4区区間賞。ルーキーながら2レース続けて快走した。
「トラックシーズンは走れていなかっただけに、出雲と全日本で区間賞を獲れてびっくりしました」
1年目から駅伝で快走も…狂い始めた歯車
当然、箱根駅伝でも活躍が期待された。もちろん、自身もそのつもりだった。
「1年生で個人三冠(三大駅伝全てで区間賞)した選手は今までいなくて。そこに王手がかかっている状態だったので、『箱根ももちろん――』と思っていたんですけどね……。そこで躓きました。箱根に向けた長い距離に対応できず、身体のバランスを崩したり、脚を痛めて練習を継続できなかったり。箱根は甘いものではないと、この時に分かりました」
16人のエントリーメンバーには登録されたものの、結局1年目は夢舞台を走ることは叶わなかった。
実は石田は大学入学直後から、右足の後脛骨筋(※ふくらはぎの筋肉)に慢性的な痛みを抱えていたという。
「足首を強化したり、走り方を矯正したりいろいろやってはいたんですけど……。痛くない日がないぐらいで、今も痛いんです。接地時に痛みがあって、競技を続ける間はずっと付き合っていくしかないのかなと思っています」
痛みはあっても走ることはできた。いや、できてしまっていた。
その結果、走りの感覚に少しずつズレが生じていた。1年目の出雲・全日本ではまだそのズレが顕在化していなかった。だが最初の箱根駅伝を迎えるころには、絶好調だった高校時代と同じような感覚では、もはや走ることができなくなっていた。
<次回へつづく>
【動画を見る】サブスク「NumberPREMIER」内の【動画】「箱根駅伝は向いてなかったのかなって」東洋大学・石田洸介が本音で語る4年間、そして自分を“苦しめたもの”「いい時の走りのイメージが…」で、インタビューをノーカットでご覧いただけます。



