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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「正直、あの4年間は地獄でした」なぜ箱根駅伝で“山の神”柏原竜二に勝てたのか? 渡辺康幸の早稲田大“21秒差で優勝”の真実「自慢にもなりませんよ」
text by

杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byJIJI PRESS
posted2025/02/06 11:20

「山上りのスペシャリスト」は不在ながら、2011年の箱根駅伝で早稲田大学を優勝に導いた渡辺康幸監督
復路も差を詰められる恐怖に怯えながら…
6区では曲者の高野が奮起してくれた。だが、実は渡辺の指示をほとんど守っていなかったという。抑え気味に入るように伝えた序盤から果敢に突っ込み、注意していた白線の上を走って転倒するアクシデントもあった。それでも、区間2位の58分台と好走を披露。東洋大を抜いて先頭に立ったのだ。
「彼は普段からおっちょこちょいな一面がありましたから(笑)。言うことを聞かないところもかわいいんです。4年間、手塩にかけて育ててきましたので。下級生の頃は山上りのリザーブだったのですが、逆転の発想で下りの練習させてみると、思った以上に走れました。危なっかしかったですが、キーマンでした」
ただ、先頭を走り続けても、安心はできなかった。7区の三田裕介(3年)が区間2位の力走で1分24秒の貯金をつくってくれたものの、後ろからじりじりと鉄紺の襷が迫ってくる。東洋大は8区、9区で連続区間賞を獲得。アンカーがスタートする鶴見中継所では、その差を40秒まで詰められていた。
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「復路のフィニッシュテープを切るまでは、どうなるのか分からなかったです。6区から先頭を走っていましたが、あそこまでの接戦はないですよね。2位と21秒差は、“史上最小差”の総合優勝として語り継がれているくらいです。10区を走った中島賢士(4年)は、ずっと追われ続けるのが怖かったと話していました。『地獄の1時間9分55秒だった』と。監督の私も同じような心境で、最後はほっとしました」
山上りの専門家なしに箱根駅伝を制することができたのは、まず分厚い選手層があってこそだという。10人の出走メンバーと遜色のない控え選手がそろい、不測の事態が起きても、復路にも往路に負けず劣らずのタレントを配置できた。そのチーム力の底上げを担ったのは、4年生の団結力。本戦でも最上級生の4人が、要所で踏ん張った。
「雑草根性を持った4年生たちが走り込んでチームを引っ張っていたので、まとまりがあったと思います。全員で泥臭く練習を積めました。後輩は先輩を見て育つものです。猪俣ら一般入試組の叩き上げの存在も大きかった。いい意味で彼らの早稲田魂が、他の選手たちにも乗り移っていくんです。推薦組もより頑張ろうと火がつき、一丸となっていました」