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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「キク、達川を助けてやってくれ」あの星野仙一が涙を流し…中日の“伝説”左腕が振り返る「闘将秘話」と壮絶半生「ミツバチにわざと腹を刺させて…」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2025/01/16 11:04
熱くチームを率いた中日監督時代の故・星野仙一氏
「ビリッときて、右手にはめていたグローブが飛んでいったんです。誰かが石でも投げたんかな、と思ったら肉離れでした。当時投手コーチだった大野豊さんは、『なんとか治れば開幕一軍でいけるから』と達川監督にそれを隠してくれました。
何匹ものミツバチに腹を刺させて…
ブロック注射を打ったり、ミツバチという荒療治も……ミツバチを何匹も入れたシャーレを患部に当てて、わざと刺させて腫れさせるんですよ。猛烈な熱が出て腫れるんですけど、結局治らなかった。大野さんも『キク、もう隠せん』って。開幕を前に二軍行き。結局その怪我で(選手生命が)終わってしまいました」
99年9月に広島から戦力外通告を受けた。貴重な左のストッパーだった山田さんには、有難いオファーも届いた。横浜(当時)の権藤博監督から「バッティングピッチャーをしながら怪我を治して、現役を目指さないか」との申し出を受けたのだ。翌年から打撃投手という形で横浜に移り、再起を目指そうと一度は思った。しかし……。
耐えられなかった「ヤジ」
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「最初はそのつもりだったんですが、途中で気持ちが切れてしまったんですよ。燃え尽き症候群とでもいうんですかね。朝起きると、気分が重くなる。毎日ヤジられながら投げるような、あのプレッシャーを味わう生活をまたするのか、と。権藤さんにも『もうできません』と伝えて、復帰は目指さずにそのまま打撃投手として裏方に回ることになりました」
山田さんを悩ませた「ヤジ」。特に96年シーズンまで中日の本拠地だったナゴヤ球場では、凄絶なものがあったと言う。(つづく)
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