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25歳でJ2戦力外「お前何やってるんだ、と…2年間で築いた信頼を失いました」現“平均年収1000万円超コンサル企業”社会人のプロサッカー人生 

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阿部博一/小野ヒデコ

阿部博一/小野ヒデコHirokazu Abe/Hideko Ono

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posted2025/01/31 11:01

25歳でJ2戦力外「お前何やってるんだ、と…2年間で築いた信頼を失いました」現“平均年収1000万円超コンサル企業”社会人のプロサッカー人生<Number Web> photograph by J.LEAGUE

水戸ホーリーホック時代の星野圭佑さん

 1年目はスタメンではなかったが、星野のポジションのセンターバック(DF)は、出場したらフルタイムで出ることが多かった。ホーム試合では5万円、アウェイ試合では3万円の報酬が、どれだけ生活を助けたか。

「贅沢をしなければ、なんとかやっていけました。プロ1年目は、今までの人生の中でいちばん頑張った1年間でした。すべてさらけ出して、出場できるためだったら何でもする気持ちでやっていました。コミュニケーションを取るために一発芸もめちゃめちゃしていました」

 周りを盛り上げるムードメーカー的なタイプではなく、物静かで穏やかな星野が一発芸を連発していたことに、旧知の人間は驚くだろう。それほど切実な気持ちでサッカーをしていた。

年俸0円から200万円プレーヤーに

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 その努力と誠意は実力に反映し、与えられたチャンスをものにしていった。そして、監督をはじめとする周囲から一定の評価を得た結果、2年目も契約更新に至った。さらに、年俸216万円(月収18万円)の選手に昇格した。シーズン中、B契約に切り替わった。B契約はC契約と同様に年俸の下限はなく、給与面での変化は特になかったが、「当時、水戸はそこまで経済面で余裕のあるチームではなかったから、Jリーガーとしては決して高くはない金額でも、自分としてはとても嬉しかった」と振り返る。

 その一方で、1年目の夏から痛めていた膝は、日を追うごとに悪化していた。

 以降、怪我に悩まされることになる。痛み止めのステロイド注射を打つことが日常になり、「痛みを我慢して試合に出るか、体を第一に考えて休むべきか」の判断を毎回余儀なくされた。

 3年目の契約更新もされたが、年俸は180万円(月収15万円)とダウンした。

「交渉できたのかもしれないけど、2年目の結果には満足していなかったので、その契約金で承諾しました」

25歳のトライアウト…Jクラブのオファーはなかった

 膝の調子は改善されず、3年目の出場数は、1回サブに入ったものの、実質「0回」に終わった。Jリーグの舞台に立っているのに、その恩恵を得られない――。

「それで、ちょっと腐ってしまって。3年目のときのメンタルは、あまり良い状態ではなかった。今考えると、『お前何やってんだ』って思います。その雰囲気が監督やチーム内にも伝わり、2年間で築いた信頼を失ってしまった1年になりました」

 予想はしていたが、4年目は契約更新に至らなかった。

 年齢は25歳、まだまだサッカー選手としてやっていけると思っていた。そしてJリーグ合同トライアウトを受けたが、ライバルたちが放つ殺伐とした空気に呑まれてしまい、思うように動けなかった。

 星野のもとには、Jリーグチームからのオファーは来なかった。

〈つづく〉

#2に続く
「欧州で収入は5~6万円、住居食事は…」“J2戦力外後”のプロサッカー選手、リアルな海外挑戦事情「インドネシアでは熱中症になりかけて」
この連載の一覧を見る(#1〜3)

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