JリーグPRESSBACK NUMBER
25歳でJ2戦力外「お前何やってるんだ、と…2年間で築いた信頼を失いました」現“平均年収1000万円超コンサル企業”社会人のプロサッカー人生
posted2025/01/31 11:01

水戸ホーリーホック時代の星野圭佑さん
text by

阿部博一/小野ヒデコHirokazu Abe/Hideko Ono
photograph by
J.LEAGUE

Jリーガーの契約(2024年時点)には3種類ある。その中には、年俸の“下限”がない契約内容も。星野圭佑は、プロ1年目は報酬「0円」で契約した。2年目で年俸200万円超の選手になった後、JFL、欧州リーグ、そして地域リーグと、環境を変えてサッカーを続けた。34歳で引退し、現在は平均年収1000万円を超えるコンサルティング企業でキャリアを築いている。明るみに出ることが少ないプロサッカー選手の給与事情と、当時の実生活について聞いた。
クリスマス頃「一度来てほしい」
やれるだけやって、それでもダメならサッカーをやめよう。
大学4年生の冬、身が入らない就職活動の合間に星野圭佑はJ2クラブチームのトライアウトを受けていた。そのひとつ、水戸ホーリーホックから電話があったのはクリスマスの頃だった。よく事情がわからないが、とりあえず「一度来てほしい」という依頼のもと、北海道から水戸へ足を運んだ。
ADVERTISEMENT
練習生候補として呼ばれたと思いきや、「プロ選手として」のC契約の打診だった。Jリーガーには「A」「B」「C」の3種類の契約がある(2024年現在)。C契約では、年俸の上限は480万円である一方、下限はない。提示されたのは「年俸0円」だった。それでも、Jリーガーになれることの嬉しさが上回った。
「贅沢をしなければ、なんとかやっていけた」
2月のリーグ開幕に向けて、1月から新チームが本格稼働する。大学在学中からチーム練習に参加した。毎月決まった給与はなかったが、衣食住には困らなかった。ユニフォームや練習着などの備品は支給され、朝食と夕食付きの寮生活の費用もクラブ持ちだったからだ。当時の収入源は主に二つだった。
ひとつはサッカースクールの手伝いや地元でのイベント参加による謝礼。2時間で1500円昼食付き、といった程度だったが、「当時の自分にとっては大事な臨時収入だった」という。
もうひとつは、「勝利給」や「出場給」だ。