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「森保さんの厳しさに惚れた」サンフレッチェ広島一筋21年…青山敏弘(38歳)が語った2人の恩師と引退の真意「僕はずっとこの右足で生き残ってきた」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/01/16 17:00
38歳にしてついに引退を決断した青山敏弘
「あの幻のゴールから始まったと思っています。常に自分の前に大きな壁があって、それを乗り越えるチャレンジの連続だったなって。ケガや挫折、うまくいかないことのほうが多かった。でも壁を乗り越えるたびに強くなって、成長できて、自分というものをつくっていくことができた。それが自分の価値なんだなって。だからいつもどこか壁を探していたような気もするんです」
作陽高2年時に高校選手権の岡山県大会決勝において、青山が決めた延長Vゴールは、ゴール内のポストに当たって転がり出た。シュートは入っていないと主審は勘違い。後に誤審と認められたが、結果は翻らなかった。これが激動のサッカー人生における号砲となる。広島加入後は2年目に左膝前十字靭帯を断裂する大ケガに見舞われ、復帰した2006年に主力に定着したものの、翌年にはJ2降格の憂き目にあった。
2人の恩師
いきなり壁にぶつかった。そんな状況でも青山は2人の指揮官との出会いによって希望を抱き続けていた。一人はペトロヴィッチ。鮮やかな縦パスを通すたびに「ブラボー!」の声がとどろいた。
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「サッカーは奥深いものなんだと気づかせてもらった。そしてパスというJリーグで誰にも負けないような武器をつくらせてもらった。ミシャさんの一番弟子だって勝手に思っているし、ミシャさんがつくった僕でもあるから」
ボランチから前線まで飛び出してチャンスに絡むなど疲れ知らずの運動量に加えて、一撃必殺ここぞの縦パスが青山をスケールアップさせたことは言うまでもない。
もう一人がかつてペトロヴィッチのもとでコーチを務め、'12年シーズンから監督となった森保一。サッカーの深淵をのぞかせてくれたのがミシャなら、勝負の真髄を叩き込んでくれたのが森保であった。
「闘うところを強く求める人ですよね。僕自身、森保さんの勝負に対する厳しさに惚れたところがありました。体を投げ出すだけの価値があるんだ、と」
森保にも当時の話を聞くことができた。多忙の身ながら「アオのことなら喜んで」とわざわざ時間を設けてくれた。監督就任直後のことが一番印象に残っているという。
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