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「天才って言われすぎんのも」FW柿谷曜一朗35歳の電撃引退、“元問題児”が愛されたワケ…30歳時に話した「限界が、と思ったら潔く辞めます」
posted2025/01/19 11:03
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Takuya Sugiyama
<名言1>
曜一朗はセレッソというより、日本サッカー界が生んだ天才だと思っています。
(森島寛晃/Number803号 2012年5月10日発売)
◇解説◇
1月18日、徳島ヴォルティスから発表された突然の引退発表リリースに、多くのサッカーファンが即反応した。
〈徳島ヴォルティスのファン・サポーターの皆さまをはじめ、徳島で支えていただいた皆さま、私、柿谷曜一朗は2024シーズンをもって引退することを決めました〉
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J1通算238試合52得点、J2通算234試合30得点、さらにルヴァン杯(ナビスコ杯)、天皇杯、ACLを含めれば出場数は550試合を超え、103ゴールを奪った。そして日本代表でも18試合5得点、2014年ブラジルW杯メンバーにも選出された。
ただこういった記録よりも、Number1068号のインタビューで「あんまり天才って言われすぎるのも、正直しんどいんで……」と語る愛嬌を持つなど――柿谷という存在を語りたくなるのはサッカー人生を通じた“天才性と物語”にある。
「ジーニアス」と呼ばれ、問題児だった頃
サッカーファンが柿谷の才能に衝撃を受けたのは、2006年9月のこと。
2007年のU-17W杯出場を懸けたAFC U-17アジア選手権でエースとして活躍。決勝の北朝鮮戦では2点ビハインドの状況で、中央から来たパスに対して相手マーカーの頭上を抜くボールコントロールで置き去りにするや否や、右足を豪快に振り抜くスーパーゴールを叩き込み、チームの逆転勝利を牽引した。翌年のU-17W杯フランス戦でもハーフライン上から超ロングシュートを決めるなど、イマジネーションあふれるプレーから「ジーニアス(天才)」の異名がついた。
下部組織時代から柿谷が所属したセレッソ大阪の象徴である森島が、冒頭のように話すのも納得のきらめきだったのである。
しかし……若き日の柿谷は問題児だった。プロ4年目の09年、練習に遅刻を繰り返すなどの素行不良で、積極起用していたレヴィー・クルピ監督の逆鱗に触れた。結果、“懲罰”とも表現できる徳島ヴォルティスへの期限付き移籍となった。
当時について、柿谷はこう語っていたことがある。