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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「背番号1は憲志郎以外、考えられなかった」高校でトミー・ジョン手術→ソフトバンク育成指名…“投げられないエース”にチームが最後の夏を託したワケ
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byFumi Sawai
posted2024/11/14 11:01
ソフトバンクから育成7位で指名を受けた神戸国際大附高の津嘉山憲志郎。トミー・ジョン手術後もチームでは中心的な役割を果たした
昨秋のドラフト会議で1位指名された投手が3人、トミー・ジョン手術を決断している。
入団してリスクを背負うより、長く活躍することを考えるとプロ入り前に手術をして、高校野球を引退した時間やプロでの準備期間をリハビリの時間に充てた方がいいと考えたのだ。
ただ、高校野球は2年秋から3年夏が、最も選手の個の能力がクローズアップされやすく、進路にも大きく影響する。ましてや甲子園を目指すとなれば、2年秋、そして3年春や夏の貴重な時期も犠牲にすることになる。
「確かにそうなんですけど……それも踏まえた決断だったので。こういうこともあるんだな、という風に考えて、手術をしてけじめをつける、みたいなものもありました。それでもプロに行きたいというのはあったので、気持ちを整理して手術を決めました」
背番号「1」は「憲志郎しかいないと思っていて」
11月末に受けた手術後は、安静にする期間を経て、バスケットボールなどを使い、ひじを伸ばして投げる動きを入念に行い、ひじの伸びを確認しながらのリハビリが始まった。その後、テニスボールとボールの大きさを変えていき、野球の硬球を握るようになったのは今年の春になってから。そこからキャッチボールに近い動作を徐々に始めていった。
ただ、津嘉山はキャプテンという役目も担う。春の県大会、そして夏も津嘉山は背番号1をつけてベンチ入りした。
青木尚龍監督は言う。
「特に夏は憲志郎がいないことは考えられなかったんです。背番号1を誰がつけるのかと言われると、憲志郎しかいないと思っていて」
投げられなくても、ベンチでは主に声を出し、攻守交代時はチームメイトに道具や飲み物を運び、声を掛け続けた。今夏の兵庫大会は場面によって代打で出場したが快音は響かず。チームは準々決勝で東洋大姫路に2-4で敗れ、甲子園への夢は叶わなかったが、指揮官はあらためてここまでの道のりをこう振り返る。
「トミー・ジョン手術をすると、リハビリを経てピッチングが自分のものになるまでだいたい2年はかかると聞きます。そうなると、憲志郎が投げて甲子園に行くことは厳しくなるけれど、憲志郎が投げられなくてもみんなで頑張ると本人には伝えました」