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野球クロスロードBACK NUMBER
誰もが「プロは無理」から“奇跡”のドラフト6位…大学は推薦漏れ→BCリーグ挑戦で掴んだ夢 阪神・湯浅京己(25歳)「遠回りの野球人生」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)Genki Taguchi、(R)Nanae Suzuki
posted2024/10/26 11:02
現在は難病からのリハビリに挑んでいる阪神の湯浅。福島・聖光学院高時代の評価からは予想外のプロ入りを果たし日本代表まで駆け上がった
甲子園で投げる目標が叶わなかった湯浅にとって、「早稲田からプロに行く」という新たな道は希望であり、今を生きる上でのモチベーションだった。
その実現の可能性が低いと知った湯浅は泣いた。寮の部屋で泣き崩れた。彼の一番の理解者であるコーチの岩永圭司が、「人生、いろいろあるからな。将来を考えられる大学はあるから」と慮る。キャプテンで盟友の仁平勇汰が「次がなくなったわけじゃないんだからさ」と、肩に手をかけ慰めた。
「最短距離でプロに行くために…」
涙に暮れた湯浅が次なる野望を掲げ斎藤に宣言したのは、それから数日後のことだった。
「受かるかどうかわからない試験を受けるくらいなら、もっと目標を明確にしたいんで。最短距離でプロに行くために、自分はBCリーグに挑戦したいと思います」
独立リーグであるBCリーグに入団することができれば、高卒でも最短1年でNPBのドラフトで指名される可能性があるからだった。
「俺の想定を超える提案だった」
湯浅の決断に、斎藤は驚きを隠そうとしなかった。他の大学への進学の選択肢もあるのだと提示しても、「もう切り替えているんで」と信念を示される。
斎藤だけでなく、湯浅がケガで野球ができない時期にマネージャーの役割を与えた部長兼Bチームの監督である横山博英ですら、「プロになりたい気持ちはわかるけど、大学に行って4年間、いろいろ考えてから決めても遅くはないんじゃないか?」とたしなめた。それでも、湯浅が指針を曲げることはなかった。
怪我でプレーができずとも、甲子園で投げられずとも、現実を受け止められるだけの前向きな性格が湯浅にはある。それと同等の熱量でもって彼の根底を支えているものこそが、意志の強さなのである。
学生スポーツの監督という人種は、頭では選手の将来を案じているつもりでも、チームの実績のため、後進のためといった大義名分によって、無意識のうちに進路を押し付けてしまうことがある。しかし、湯浅の固い決意に触れた斎藤は、その進むべき道について翻意させようとはしなかった。
「あいつの話を聞いてたら、『逆にそっちのほうがいいかもしんねぇな』って思えたの。高校時代に怪我していた腰の不安っていうのは完全に拭えていたわけじゃなかったし、2、3年、独立リーグで揉まれれば、湯浅の能力ならプロに行けっかもしんねぇなって」