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野球クロスロードBACK NUMBER
誰もが「プロは無理」から“奇跡”のドラフト6位…大学は推薦漏れ→BCリーグ挑戦で掴んだ夢 阪神・湯浅京己(25歳)「遠回りの野球人生」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)Genki Taguchi、(R)Nanae Suzuki
posted2024/10/26 11:02
現在は難病からのリハビリに挑んでいる阪神の湯浅。福島・聖光学院高時代の評価からは予想外のプロ入りを果たし日本代表まで駆け上がった
BCリーグのトライアウトを経て、富山サンダーバーズへの入団を果たした湯浅は、退路を断つように周囲に最短距離を明言した。
「俺、来年(2019年)あたりプロ行くから」
中央学院大に進学した仁平は、湯浅からそんなことを言われ、こう茶化す。
「お前じゃ無理だって。今の俺だって、まだまだお前の球、打てるよ」
「いやいや、絶対に行くから!」
湯浅からすれば、そこには裏付けがあった。大きなところで言えば、18年に伊藤智仁が富山の監督に就任したことである。
自身もヤクルト時代に右肩の故障に苦しめられてきた経験があったことから、伊藤は故障歴のある湯浅の登板には特に気を配った。まず、ピッチングよりも体作りやピッチングフォームの再構築を優先させ、公式戦の登板も球数やイニング数を制限していたという。
その結果、高校で最速145キロだったストレートは、151キロまで飛躍していた。湯浅本人などから報告を受けていた斎藤は、留飲を下げたように言葉を和らげる。
「今だから言えることなんだけど、BCに行って酷使されて、また体を壊すんじゃねぇのかなって不安があったんだ。それが伊藤監督と出会って、能力を引き出してもらって。本当によかったって思ったね」
「1年でプロに行く」宣言を現実に
聖光学院時代の湯浅を知る誰もが、「プロは無理だろう」と思っていた。それが富山に入団したことで、潮目が大きく変わった。ドラフトの話題がちらつき始めた頃、湯浅は斎藤にこんな期待感を伝えた。
「伊藤監督には、体のことを考えてもらいながら大事に育ててもらえています。秋のドラフトでは指名される可能性が高いみたいです」
18年10月のドラフト。湯浅は阪神から6位指名を受け、「1年でプロに行く」という公約を果たしたのである。
念願のプロ入りはゴールではなくスタート。それは、誰にだって言えることだ。
だが湯浅の場合、ここに至るまでに野球ができる尊さを重く受け止めることができた。そこで培った前向きさと意志の強さは、プロとなっても湯浅の血肉として息づいている。