- #1
- #2
野球クロスロードBACK NUMBER
誰も「プロ野球選手になるなんて思わなかった」 高校ではマネージャー→名門大入試は断念…湯浅京己(25歳)が“下剋上ドラフト”で阪神に入るまで
posted2024/10/26 11:01
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Nanae Suzuki
甲子園の9回のマウンドに湯浅が立つ。
阪神でゲームを締めるピッチャーの、150キロを超えるストレートが走り、落差のあるフォークボールが冴える。
湯浅京己はリフレッシュを兼ねて、友人と人気野球ゲームのパワプロ(実況パワフルプロ野球)でオンライン対戦に興じる。そこでは決まって自分を操作するそうだ。
聖光学院時代の盟友で、対戦相手のひとりである仁平勇汰は湯浅についてこう語る。
「いつもと変わらないですね。普通です、普通。話していても前向きなことしか言わないんで、今は心配することはないですね」
難病と闘う“名クローザー”のいま
現実世界の湯浅は今、病気と闘っている。
黄色靱帯骨化症。この病気は、背骨の近くにある黄色靱帯が骨のように固くなってしまうことで神経が圧迫され、下半身などに痛みやしびれを起こすとされている国指定の難病である。
プロ野球では、ソフトバンク時代の大隣憲司やDeNAの三嶋一輝、中日の福敬登らが発症している。彼らの経過を辿ると、手術から実戦登板までおよそ1年。今年の8月にメスを入れた湯浅も、復帰までにはおそらくそれだけの時間を費やすと予測されている。
2022年の最優秀中継ぎ投手や23年のワールド・ベースボール・クラシックで実績を築き、阪神での立場を確立しつつあった矢先に襲った病魔。アスリートのみならず、大抵の人間はここで沈む。あるいは絶望する。
そんななか、湯浅は顔を上げる。コーチとして聖光学院時代の湯浅を指導した岩永圭司は、「それが湯浅です」と言う。
「なんなら、それまでの不調の原因が病気だって分かっただけでも、本人からすれば安心できたんでしょうね。『手術でよかったです』と言ったときの声も明るかったですから」