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長嶋茂雄22歳は「新人で三冠王+トリプルスリー」まであと一歩だった…キャリア17年通しても「プロ野球史上最強のサード」と断言できるワケ
posted2024/10/14 11:29
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Tomohiko Hayashi
長嶋茂雄は、華やかなりし東京六大学のスターとしてプロ野球の世界に飛び込んだ。そして巨人でもさらなるスーパースター街道を歩んでいくわけだが……「記憶に残る」だけでなく、記録面から見てもプロ野球史に刻むべき活躍をいきなり見せた。
新人にして29本塁打37盗塁、打率.305
〈新人で破天荒な活躍〉
1958年、新人の長嶋茂雄は、こんな成績を残した。カッコ内はリーグ順位。
130試502打153安(1)29本(1)92点(1)37盗(2)率.305(2)
本塁打と打点の2タイトルに、当時はタイトルではなかったが最多安打、そして打率は.320の阪神、田宮謙次郎に次ぐ2位。あわや三冠王という大記録である。
投手の場合、いきなり最多勝や最優秀防御率などのタイトルを取りまくる新人はたまに出るが、打者で1年目に打撃タイトルを取る例はめったにない。
首位打者、本塁打王、打点王の3タイトルに限れば、新人のタイトルホルダーはこの年の長嶋と翌1959年の大洋の桑田武が31本塁打でタイトルを獲得した、たった2例しかない。
その上、長嶋は29本塁打、37盗塁、打率.305、あと1本塁打を打っていれば「新人でトリプルスリー」という、前代未聞の記録を22歳にして達成していた。
よく知られているが、長嶋茂雄はこの年9月19日の後楽園球場・広島戦の5回に、左中間にサク越えの一発を打ちながら、一塁ベースを踏み忘れて「内野ゴロ」の扱いになっていた。これが本塁打になっていれば、前述のトリプルスリーに加えて史上初の「新人で30本塁打」という記録も達成していた。
長嶋の記録からは、当時の東京六大学の高いレベルもうかがい知れるが、同時代に生きていれば「ものすごい記録男が出てきた」と思ったことだろう。さらに1年目だけでなく、キャリア通じて超一流のバッターだったことを示す記録も多い。
大学出身で初の2000安打達成でもある
〈大学出選手で初の2000本安打〉
2000本安打は、1956年5月31日に巨人の川上哲治が初めて達成、以後、1967年10月14日に阪神の山内一弘、1968年7月21日に東京の榎本喜八、1970年10月21日に南海の野村克也と、4人が達成した。しかしこの4人はすべて高卒(川上は旧制工業学校卒)であり、大学出の選手は一人も達成していなかった。
大学出の選手はプロ入りが4年遅れる。10代後半から20代前半の伸び盛りの時期をロスすることから、かつては「大卒選手で2000本を打つのは不可能ではないか」と言われていたが、長嶋茂雄は1971年5月25日のヤクルト戦で達成した。35歳3カ月。1708試合目での2000本は、史上3位の速さ。長嶋がいかに試合を休むことなく打席に立って、安打を打ちまくったかを表している。
その後、大学出の2000本安打は、長嶋の後は1984年5月5日に法政大出の山本浩二が達成するまで13年間も2人目が出なかった。しかしそれ以降は、続々と達成者が出た。
以下は大学出(大学から社会人を経た選手も含む、中退者含まず)のNPBでの2000本安打達成選手。