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15歳の大谷翔平と対戦「体重83kgの“巨漢中学生”だった」ロッテ・澤田圭佑が今も忘れられない「消えたスライダー」「大谷、藤浪、由伸の共通項」
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2024/10/10 11:38
大阪桐蔭高校時代の澤田(右)と同級生の藤浪
追い込まれてからボールがストーンと消え、空振り三振に倒れた。それが大谷と間近に接した最初の思い出である。四国では名の知れた天才中学生はこの打席で、世の中は広いのだ、という事を痛感した。ただ、澤田も負けなかった。天才対天才。ますます燃えた。必ず次の打席もあのボールを投げてくるはずと、その自慢のスライダーに狙いを定めた。
「投手・大谷」から9得点
2打席目。狙い通り、またスライダーが来た。「しめたと思った」と今度はしっかりとボールの軌道を意識しスイングした。忘れもしない。一塁線を抜ける二塁打を記録した。そして3打席目も再びそのスライダーをライトへ二塁打。4打席目はストレートを弾き返し二塁打。澤田の活躍もありチームは大谷から9点を奪い、勝利した。
「ボクらのチーム、強かったんですよ。四国・中国地方だったら負けるチームがないくらい。2年生から3季連続でシニアの全国大会ベスト8ですから。でも全国にいくと大谷のように凄い選手がいる。関西や関東にはボクらより強いチームがある。全国大会はだから楽しかった。まだまだ頑張らないとアカンとなる。刺激的でした」
一方で、「打者・大谷」と「投手・澤田」の対戦はどうだったのか。覚えているのは1打席目に投じたインコースのストレート。自信満々で投じた渾身のボールを弾き返された。間一髪、ショートライナーとなりアウト。しかし、鋭い打球だった。本人いわく「めちゃくちゃ強烈な打球」。ただ、なぜかその後の打席での結果は覚えていない。記憶が飛んでいるのだ。
思い出せない「その後の結果」
ある時、ふと結果はどうだったかと気になり、思い出そうとしてみた。たがどれだけ記憶を遡っても湧いてくることはなかった。当時のチームメートにも電話やLINEで尋ねてみた。もう誰も野球をやってはいない。地元で消防士や警察官を務めている友がいた。夜勤終りの早朝に、ようやく返事が返ってきたが「ゴメン。昔のことで覚えていないなあ」という返事だった。
結果的にこの大会、澤田を中心とした愛媛西はベスト8で敗退したが、チームメートの間では一回戦で大谷を擁するチームと対戦した試合が強烈な記憶として残っている。今でも、年末に地元で同窓会が行われるたびに語り明かすほどだ。そして、あの日、試合後に大谷と会話を交わしたことも忘れられない。
「試合が終わって時間があったので話をしました。進路の話になって彼は『花巻東高校にいきたいと思っている』と教えてくれた。ちょうどボクらが中学生の頃は菊池雄星投手が花巻東高校のエースとして甲子園に行って有名だった。菊池選手がいたあの学校か、凄いなあと思った。そしてボクも『大阪桐蔭にいきたい』と話をした。短い会話だったけど、よく覚えています」