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「僕は何もしてないのに厳罰」問題児FWフッキの日本愛…東日本大震災直後にポルトで見せた“ある行動”とは「イエローにも腹は立たなかった」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byValerio Pennicino/Getty Images

posted2024/09/23 11:04

「僕は何もしてないのに厳罰」問題児FWフッキの日本愛…東日本大震災直後にポルトで見せた“ある行動”とは「イエローにも腹は立たなかった」<Number Web> photograph by Valerio Pennicino/Getty Images

2012年、ポルト時代のフッキ。ヨーロッパ戦線でもそのパワーは脅威を誇った

「そうかもしれない。僕にとって、リーグから科せられた処罰は理不尽としか思えなかった。ただ、この出場停止処分は国内の試合に限られていたから、(イタリア・セリエAの強豪)ミランからオファーを受けた。でも、ポルトが僕を手放そうとしなかったので、移籍は成立しなかった」

――そこから3カ月間、プレーできなかった鬱憤を晴らすかのように、翌2010-11シーズンは大爆発。欧州リーグと国内リーグの2冠達成に貢献し、リーグでは得点王(23ゴール)にしてMVPに輝きます。

「この頃は体調が非常に良く、チームメイトとの連係も成熟していた。僕のキャリアで最高のシーズンだったんじゃないかな」

東日本大震災の際にはメッセージを

――2011年3月11日、東日本大震災が起こり、東北地方は甚大な被害を被りました。それから3日後、あなたはポルトガルリーグのレイリア戦で試合終了間際にPKを獲得し、自ら決めた。その際、テレビカメラの前でユニフォームを脱ぎ、アンダーシャツの胸と背中に記されていた「日本よ、私の心は泣いている」、「我々はあなたたちと共にいる。頑張ってください」というメッセージを示した。そして、イエローカードをもらいました。

「日本は、僕を育ててくれた大切な国。日本人には恩義がある。大好きな日本がとてつもない災害に見舞われた様子をテレビで見て、胸が張り裂けそうになった。だから、その次の試合で是が非でもゴールを決めて日本の人たちを励まそうと考え、アンダーシャツにメッセージを書き込んで試合に臨んだ。そして、実際にゴールを決めてメッセージを送ることができた。主審にイエローカードを出されるといつも煮えくり返るような気持ちになるんだけど、あのときだけは腹が立たなかった」

 Jリーグ時代は圧倒的な決定力を持ちながらもレフリングに対して不服を示したことは事実だ。それでも日本という国への感謝は変わらなかった。

 そんなフッキは2010-11シーズン、ポルトガルの強豪ポルトでキャリア最高の成績を収めた。当然、複数の欧州ビッグクラブからオファーが舞い込んだはず。

 ポルト残留か移籍か――。フッキの動向に、注目が集まった。〈つづく〉

#4に続く
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