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「大谷翔平より藤浪晋太郎が上だった」大阪桐蔭に“打ちのめされた”青森の名物監督が証言「選手の前で言っちゃった」高校生・大谷の本音評
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2024/08/20 11:05
2012年甲子園、春夏連覇のエースで同年ドラフトで阪神から1位指名を受けた藤浪晋太郎
仲井 選抜のときとは、ぜんぜん違いましたね。春はね、ガーッと力任せに投げている感じだった。でも夏は最初はふわ~っとしていて、リリースのところだけバチーンと力を入れていた。木更津総合は前評判も高かったんですけど、軽く勝ったように見えたんですよ(藤浪は14奪三振を奪い、8-2で完投勝利)。ああ、これはレベルが違い過ぎるな、って。
――あの夏の藤浪は投げるたびにどんどんよくなっていっているように見えましたよね。
仲井 準決勝の明徳義塾戦、うちとの決勝と、2試合連続完封勝利ですから。
――準決勝も決勝も2安打ずつ許しただけです。ほぼ完璧。
仲井 手も足も出んかった。つま先すら出せませんでしたね。
――大谷の存在は同じ東北エリアなので中学時代から知ってはいたわけですよね。
仲井 いや、僕は知らなかったです。中学生に興味ないですもん。うちは基本的に来てくれた選手たちでやるというスタイルなので。
――スカウト担当もいないのですか。
仲井 お金で雇っている人はいません。僕の先輩・後輩や、光星のOBが紹介してくれるというパターンがいちばん多いです。
――投手・大谷の第一印象は?
仲井 たぶん1年秋ぐらいかな。ちょっと投げたんですけど、体も細くて、すごく速いっていう感じでもなかった。コントロールもアバウトでしたよ。バランスを崩すと、めちゃくちゃになってしまうところもあったりして。ただ、ひと冬を越して、体が別人のように大きくなった。打ったら、めちゃめちゃ飛ばすんです。3年夏の練習試合でも大谷が投げてきたことがありましたね。そのとき、大谷に左中間にすごいホームランを打たれてね。でも、うちも北條(史也=元阪神)が大谷の真っ直ぐをセンターオーバーに打ち返したりしていましたから。ピッチャーとして、これはとんでもないなと思ったことはなかったな。
北條・田村がいた「最強世代」
――大谷の世代は光星学院も田村(龍弘=千葉ロッテ)、北條というすごいバッターがいましたからね。
仲井 北條もすごかったですけど、田村ですよ。これまで見てきた選手とはレベルがぜんぜん違いました。あんな選手、初めてみましたよ。前年夏もうちは甲子園で準優勝しましたけど、あいつのお陰です(田村は4番・サードとして活躍)。
――当時の他校の選手たちに聞くと「北條は穴があったけど、田村はどこに投げればいいかわからなかった」と言うんですよね。身長は170センチちょっとだったんですけど、「どこにでもホームランを放り込む長打力があった」と。