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プロ野球PRESSBACK NUMBER
26歳の戦力外通告に「もう辞めようと…」→“まさかの先発転向”で蘇った…元阪神右腕・歳内宏明が語る「流転の野球人生の先に見つけたもの」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byHaruka Sato
posted2024/08/15 11:04
現在はタイガースアカデミーのコーチとして子どもたちを教えている歳内さん
「フォークはちょっと浮いてしまうだけでバッターに見極められやすいからね。真っすぐと同じ軌道から、落ち幅はもうちょっと少なくてもいい」
打者が速球と錯覚するくらいでちょうどいい。球を浅く握るように心がけ、球速も球筋も速球に似せると面白いように打者から空振りを奪えるようになった。体に染み込んだ技は、何年経っても忘れていなかった。
あの初星が持つ意味
阪神での2勝は、いずれもリリーフで挙げたもので、ヤクルトで掴んだ白星は歳内にとってNPBでの先発初勝利だ。高校時代はエースとして夏の甲子園でも活躍した。さぞや感慨深い1勝になったことだろう。だが、あの勝利が持つ意味を問うと、まったく予期しない答えが返ってきた。
「あの時、僕が一番、リーグ内で成績が良くて、おそらく、みんな、僕がNPBに戻ってどうなのかを見ていたと思うんです。これで『NPBでやっぱりあかんね』となったら、あの子たちのモチベーションも下がるでしょう。これぐらいの投球を独立リーグでできれば、NPBでも勝てるというのを示すことが大事でした。僕がNPBに戻って勝つか、勝たないかで、リーグ全体に与える影響も大きいと思っていたんです」
香川では河川敷で練習したこともある。NPBを目指す後輩たちと夢を追うなかで、いつしか自分だけの野球ではなくなっていた。
「今となったら良かったのかな」
「いろんな人にお世話になりましたから。もうそっち(周り)がどうなのか、という考え方になりますよね」
そんなことをさらりと言った。
NPBで挙げた最後の白星には心意気が溢れていた。
久しぶりに会った歳内は相変わらずニコリともせず、淡々と言葉を紡いでいく。そこには、ポーカーフェイスに潜む熱情があった。高校時代に「大谷翔平を本気にさせたエース」は阪神を戦力外になる前も、そしてその後も自らの道を歩み続けていた。
「ケガしたのも、今となったら良かったのかなとも思います。すごく考える時間が長かったので、投球フォームやトレーニングもいろいろ勉強しました。いま、人に伝える時、すごく生きているんです」
(前編も公開中)