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プロ野球PRESSBACK NUMBER
26歳の戦力外通告に「もう辞めようと…」→“まさかの先発転向”で蘇った…元阪神右腕・歳内宏明が語る「流転の野球人生の先に見つけたもの」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byHaruka Sato
posted2024/08/15 11:04
現在はタイガースアカデミーのコーチとして子どもたちを教えている歳内さん
人生を変えた松中信彦の言葉
「いろんな人にいっぱい見てもらうために先発をすればいい」
阪神時代の歳内はリリーフ投手として結果を残していた。14年に日本シリーズに登板すると、15年は29試合に登板し、1勝1敗で防御率2.62。重い速球と落差のあるフォークを武器に活躍した。一軍の公式戦登板57試合のうち、先発は4戦だけである。だから、香川でもリリーフとして戦力になると思いこんでいた。
「絶対に、NPBに戻れるから」
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通算352本塁打のスラッガーだった松中から言われ続けた言葉に勇気づけられた。
若手投手にも頭を下げて
だが、歳内自身、先発で長いイニングを投げるためには、足りないものを自覚していた。
「(プライドとか)そんなん言ってられへんと思って、いろんな子に聞きました。何か1個でも、自分にハマればいいなと思って。スライダーにしてもそうですよね」
プロ入り後は球種が少ないため、自らを先発よりもリリーフタイプだと判断していた。だが、先発で勝負するとなると、もうひとつ、球種を増やすことが必要だと考えた。精度の高いスライダーを習得するため、年下の若手に教えを請うた。
ヤクルトでNPB復帰
15年の終盤から異変が出始めた右肩は阪神で3シーズン近く無理をしなかったおかげで快復していた。球速は150kmまで戻り、課題だったストレートの制球も安定するようになった。スライダーでカウントを稼ぎ、得意のフォークを中心とした配球は冴える。9試合に登板して5勝0敗、防御率0.42。非の打ち所がない成績を残した。
四国での活躍ぶりに注目していたのは「歳内無双」と騒ぐSNS界隈だけではない。最下位に沈み、投手陣の補強が急務になっていたヤクルトが獲得に踏み切ったのだ。
「もし、香川でクローザーだけやっていたら、ヤクルトに獲ってもらえなかったかもしれません。先発はまったく考えていませんでした。松中さんにとても感謝しています」
5年ぶり勝利の陰に…
9月にヤクルトに入団すると、すぐに一軍昇格し、3試合目の先発だった10月1日のDeNA戦で7回5安打無失点と好投。阪神時代の15年9月29日DeNA戦以来、実に5年ぶりの勝利をマークした。
これまでの経験が生きた。この日、投げた83球のうち、半数近くがフォークだった。歳内がプロで踏ん張ってこられた球種である。当初は落差の大きさが仇となり、一軍のバッターに痛打され続けた。好転したのは、奪三振のタイトルを2度獲った、当時のエースだったランディ・メッセンジャーの教えを聞いてからである。