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26歳の戦力外通告に「もう辞めようと…」→“まさかの先発転向”で蘇った…元阪神右腕・歳内宏明が語る「流転の野球人生の先に見つけたもの」

posted2024/08/15 11:04

 
26歳の戦力外通告に「もう辞めようと…」→“まさかの先発転向”で蘇った…元阪神右腕・歳内宏明が語る「流転の野球人生の先に見つけたもの」<Number Web> photograph by Haruka Sato

現在はタイガースアカデミーのコーチとして子どもたちを教えている歳内さん

text by

酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

PROFILE

photograph by

Haruka Sato

 阪神、ヤクルトで活躍した歳内宏明さん。後編は、一度は戦力外通告を受けながら独立リーグを経て再びプロのマウンドで甦ったその野球人生を振り返ってもらった。(全2回の後編/前編から読む)

 現役を退いてから間も無く3年が経つ。それでも、歳内宏明はマウンドにいた時と変わらず、やはりポーカーフェイスだった。阪神、ヤクルトで投手として活躍後、いまはタイガースアカデミーのコーチとして子どもたちに野球を教えている。

「最初はかみくだいて伝えるのが難しかったです。特に低学年の子たちにはね。でも、成長がすごく見えやすくて、そういうところはうれしいですね」

育成降格、戦力外…

 4児の父として子供の気持ちがよくわかる。平日の5日間は兵庫県や大阪府の各スクールを回り、幼稚園の年中クラスから小学6年生までを指導する。そんな日々を送って3年目になる。野球振興に一役買っていることに、やりがいを感じている。

 人生には節目がある。歳内の場合、阪神から戦力外通告を受けた2019年の秋だった。右肩を痛めた影響で17年に育成選手に降格していた。1年後には支配下選手に復帰したが、出番に恵まれないまま、3シーズンでついに一軍のマウンドには届かなかった。

「もう辞めようという考えが頭によぎっていました。でも、いろんな方に相談したり、球を受けてもらっていたブルペンキャッチャーの方たちの話を聞いたりして『まだいけるで』と言われたんです」

「1年だけやろう」決意の先に

 11月の12球団合同トライアウトではNPB球団から声がかからなかった。だが、独立リーグで四国アイランドリーグプラスの香川オリーブガイナーズから獲得のオファーが届き、入団を決めた。

「右肩はまだ完全には治っていなかったのですが、普通には投げられるようになっていました。体の状態はまだ大丈夫だったので。NPBに戻るためにも、年齢的に1年だけやろうと思いました」

 人生はなにが幸いするかわからない。20年シーズンに香川の総監督兼GMに就いた元ソフトバンクの松中信彦との出会いが転機になった。コロナ禍の影響で開幕が約3カ月遅れた。準備を重ねるなか、歳内は松中から伝えられた方針に驚いた。

【次ページ】 人生を変えた松中信彦の言葉

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