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「息ができなかった」野茂英雄とイチロー“まさかの結果だった”メジャー初対戦の日「米で衝撃シーンが放送」現地記者が目撃「野茂の豪球が背中に…」 

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水次祥子

水次祥子Shoko Mizutsugi

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posted2024/09/01 11:01

「息ができなかった」野茂英雄とイチロー“まさかの結果だった”メジャー初対戦の日「米で衝撃シーンが放送」現地記者が目撃「野茂の豪球が背中に…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2001年5月、野茂英雄とイチローがメジャーで対戦した。試合後、2人が語った言葉とは

「走者が二塁にいたし、ヒットなら走者をかえしてしまう。ヒットを打たれてはいけない場面なので、内角を狙った。でもボールが引っかかってしまった」

「内角を攻める」が普通のメジャー

 メジャーでは内角を攻めるブラッシュボールは珍しくない。勝負の手段として使う投手もいる。例えばメジャー通算354勝、4672奪三振を記録しサイ・ヤング賞に7度輝いた大投手ロジャー・クレメンスは、マイナー時代からブラッシュボールを投げることで知られていた。「ヘッドハンター」のあだ名で呼ばれたこともあり、球界関係者やファンの間では狙ってぶつけているのか、それともただ単に内角を攻めるスタイルなだけなのか議論を呼ぶ存在でもあった。

 有名な「デッドボール事件」が起こったのはクレメンスがヤンキースに所属していた2000年7月8日のメッツとのサブウェイシリーズで登板したときだった。当時のメッツの主砲でクレメンスから過去に何本も本塁打を放っていたマイク・ピアザの頭にぶつけ、脳震盪で病院送りにした。クレメンスは試合後に「内角に投げたかっただけで、故意に狙ったわけではない。まさか頭にいくとはと、自分自身も動揺した」と話していたが、このときも賛否両論が起こった。そして同じ年のワールドシリーズでヤンキースとメッツが再戦。その第2戦に先発したクレメンスは、ゴロを打って一塁に走るピアザに折れたバットを投げるという予想外の行動で周囲を驚かせた。そんな荒っぽさもすべては勝負への執念ゆえであり、それがクレメンスらしさでもあった。

野茂のクレメンス評

 余談だが野茂が一度、クレメンスについて語ったことがある。

 クレメンスとピアザのデッドボール騒動があったわずか11日後の2000年7月19日のことだ。当時タイガースに所属していた野茂が、ヤンキースタジアムでのヤンキース戦でクレメンスと投げ合った。野茂は6安打6失点で2回2/3で降板したが、クレメンスは8回まで投げ6安打1失点、11奪三振で勝利投手になっている。試合後に野茂は「クレメンスともう少し長く投げたかった。次回はクレメンスと同じようなピッチングをしたいと思います」と話していた。

 野茂とイチローはその後、初対戦の直後の2001年5月8日に今度はボストンのフェンウエイパークで行われた試合で2度目の対戦をした。野茂にとっては次のローテの順番で2度目の対戦が巡ってきたことになり、このときは二塁打を含む3打数2安打と打たれたが野茂が勝ち投手となった。

 3度目は2001年8月14日のボストンでの試合。イチローに対し3打数1安打で勝敗はつかず。翌シーズンの2002年からは野茂が古巣ドジャースに戻りリーグが別々になったため対戦はしばらく巡ってこなかった。4度目に顔を合わせたのは野茂がデビルレイズ(現レイズ)に移籍した2005年6月5日、シアトルでのことだった。

〈つづく〉

#2に続く
野茂英雄のメジャー戦力外“5日前”「野茂の口からイチローが語られた」じつはイチローと最後の対戦があった…取材記者が見た“2人の姿”

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