Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER
[涙の理由]堂林翔太(中京大中京)「自ら志願した9回の登板」
posted2024/08/10 09:00
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
Katsuro Okazawa / Asami Enomoto
2009年の夏、悲願の甲子園制覇を果たした直後、外野にいたエースで4番は謝罪の言葉を口にした。あのとき、なぜ鯉のプリンスは涙を流したのか。
暑い夏が来ると、背中からジワッと汗が出る。あの夏からもう15年だ。大藤敏行監督率いる中京大中京が甲子園で全国の頂点に立った。エースで4番としてけん引してきた堂林翔太は優勝の瞬間、右翼にいた。
6点リードした9回に再びマウンドに上るも、2アウトを取ってから四球と二塁打。そしてさらに三塁打を打たれた。4点差に迫られ、死球を与えたところで降板した。
9回2死から逆転負けしたセンバツ準々決勝の記憶が、優勝を目前にした重圧とともに右肩に乗っていた。右翼にいながら、アルプススタンドにいるような感覚で、じりじりと追い上げる日本文理の攻撃を見つめることしかできなかった。最後の打球がライナーで三塁手のグラブに収まると、重圧から解放された。