バレーボールPRESSBACK NUMBER
「先生が折れた前歯をポケットに…」天才少女・宮下遥が語る“衝撃15歳デビュー”のウラ話「170cmの小学生がバレーボールに出会うまで」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byL)Asami Enomoto、R)Jun Tsukida/AFLO SPORT
posted2024/07/26 11:03
NumberWebのインタビューに応じてくれた宮下遥。今年の9月で30歳になる
バレー教室の記憶をたどれば、誰よりも熱心に話しかけてくれたのは“関西弁のオッチャン”――岡山シーガルズの河本昭義監督だった。河本監督は、大阪国際大和田中学校の総監督も務めていた。
「そもそも、Vリーグもシーガルズというチームも知らない。『あのオッチャン、そんなにすごい人だったんだ』ってびっくりしたんです(笑)。すぐに返事はできなかったんですけど、その後も(大和田)中学の監督から熱心に声をかけていただいて、小学6年生ながら『これだけ自分を必要としてくれる環境があるなら、ここへ行くべきかもしれない』と思うようになった。私としては県外の中学へ行く、というだけの感覚だったので、まさか自分がすぐシーガルズに入るなんて、その時は考えもしていませんでした」
小学生の頃に出会った名残から河本監督を「いまだに“先生”と呼んでしまう」と笑いながら、人生が激変するきっかけを振り返った。
「将来は日本代表に行きたい」の本音
大和田中学の練習に初めて参加した日、中学生だけでなく高校生と共に練習している場所で面食らった。すると、河本監督からこう言われた。
「将来はどうしたい? 今はアタッカーだけど、他にやってみたいポジションはある?」
宮下の身長は当時から170cmを超えていた。アタッカー以外のポジションなど考えたこともなかったが、レシーバーはデカいから無理だな、と考えてこう答えた。
「セッターです」
河本監督は満面の笑みで即答した。
「面白い!」
もしもセッターになったらどんなプレーをしたいか。将来はどんな選手になりたいか。あれこれ広がる未来の話の中で、気づけば口にしていた。
「将来は日本代表に行きたいです」
聞く側からすれば、何と素晴らしい向上心を持っている小学生なのかと感心する。それならば日本代表やオリンピックを目指そうと熱も入るが、当時の宮下の胸の内に触れるとその印象は少し変わる。
「その場に両親もいたので、そこで『わかりません』とか『何も考えていません』と言ったら、お父さんに怒られるんじゃないかと思ってしまって。こういう場では大きいことを言わないといけないと考えた結果、出てきたのが“日本代表”でした」
言霊とでも言うべきか、大風呂敷を広げた架空の目標がどんどん現実味を帯びていく。