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「こんなに苦しいなら辞めちゃった方が楽じゃん」ヤクルト・奥川恭伸が明かす復活までの壮絶な日々…見知らぬ人に手術を迫られ中傷も「あの涙の意味は」
text by
横山尚杜(サンケイスポーツ)Naoto Yokoyama
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2024/07/12 11:02
復活星を挙げ、ヒーローインタビューに思わず涙を流すヤクルト・奥川
「肘のことを考えない時間がない。常に考えている。これからどうなるんだろう」
「太陽も嫌だし、明るいのも嫌」
少しずつ闇色の記憶を呼び起こす。「毎日ドクターとやり取りするし、その内容も決していい内容じゃない。気持ちも暗くなるし、そのやり取りも嫌になってしまう。やめたくなっちゃう。真剣に考えて向き合わないといけないのに、やっぱり自分にとっては考えたくないことで遠ざけたくなることでした」と回想する。
起床して右肘の感覚を確認する。一進一退。復帰未定で見通しも立たない。毎日同じ、地味なリハビリを繰り返す。午前中に練習を終え、昼食を済ませると戸田寮の自室に引きこもった。
「座っている気力すらない。もう横になって目をつむっていないとしんどいという状態。太陽も嫌だし、明るいのも嫌。カーテン閉めて暗くして……。人に会うたびに肘の状態はどうかと訊かれる。それと向きあうことも、答えるのも、これからどうするか問われるのも嫌でした。考えないといけないけど、考えたくない。(手術をするか否か、今後の治療法の)結論をすぐに出せるものでもないし、でもいつか出さないといけない」
「こんなに苦しいなら辞めた方が」
奥川は先が見えない未来を悲観し、現実を遠ざけた。そうするうちに自分が壊れていった。
「野球辞めようと何回思ったんだろう。野球やってこんなに苦しいなら辞めちゃった方が楽じゃん、て。練習も行きたくないし、誰とも顔を合わせたくない。明日、事務所行って辞めます、と言いに行こうと本気で悩みました。辞めてから何をしようかな、というところまで考えていた。このまま寮から抜け出して、石川に帰っちゃおうと思ったりもしてました」
負の感情に蝕まれた奥川に、手を差し伸べてくれた人がいた。最も身近だったのは、父・隆さんと母・真由美さん。恩返ししたいと何より願っていた相手だ。
厳しい親父が涙を流して…
「(右肘を)けがした時に東京に何度も来てくれました。試合でもないのに仕事の休みを使って上京してくれて。ただ顔見にいくね、と。こうしたほうがいいんじゃないかという話は一度もされたことがなくて、ただただ話を聞いてくれました」
復活の白星を挙げた試合後、両親と電話を繋ぐと、目の前で勝利を見届けた父が感極まっていたと母から伝え聞いた。
「厳しい親父ですし、感情を出すことはほとんどないんです。もちろん泣いているところなんて見たことない。いつもだったら心配性のおかんが泣くのに。いつも僕の前では平静を装ってますけど、親父がウルッときていたなんて。自分が思っているよりも心配をかけていたのかなと。両親もそうだし、近くにいてくれた人たちも」
手術回避の決断を支えた医師
大阪にも勝利を届けたい人がいた。右肘を保存療法で治療できると提案してくれたドクターだ。奥川は毎週1度、多くて週3度、診察とリハビリに通った。