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[最強打線の一角として]松井秀喜「左手袋に込めた覚悟」
posted2024/06/30 09:01
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
Naoya Sanuki / Nanae Suzuki
3度の本塁打王という華々しい経歴を引っ提げ、約25億円の契約金でヤンキースに入団したゴジラ。日本が誇る最強打者が、彼の地でも生き残るために大切にしていた哲学を、取材者の視点で振り返る。
2003年3月31日、トロント。ヤンキースに入団した松井秀喜は「5番・左翼」でメジャーデビュー戦を迎えていた。
1回2死一、三塁。前年19勝を挙げたブルージェイズのエース右腕ロイ・ハラデーが投じた初球、外角のシンカーを捉えた打球はレフト前へと転がった。メジャー初打席、初安打、初打点。しかも2死からの先制の適時打。仕事としては完璧だった。
記念球がヤンキースのダグアウトへ戻され、日本から大挙して詰めかけた報道陣は“見出し”が立つデビューに大喜びだ。
だが、“これが松井秀喜の打撃なのか”という違和感は、拭えなかった。
日本時代、本塁打王に輝くこと3度。日本最終年の'02年は自身初の50本塁打も放ち、10年間で332本塁打を積み上げた。その彼が先制機とはいえ、初球を流し打ったことがあっただろうか。相手はシンカー系のボールが武器の剛腕投手。状況を考えた上での判断だったことは理解できる。それでも、長打が売りであった彼の打撃とは違った。何か釈然としないものを、このときは感じていた。
1月のジャイアンツ球場。松井は寒風が吹き荒れる中、海を渡るための準備を整えていた。そこで筆者の目に留まったのは、左手につけた打撃手袋だった。