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「巨人ドラ1」がハローワークで職探し→履歴書の「巨人軍」に社内騒然…「辻内です!買ってください」飛び込み営業も、辻内崇伸の「第二の人生」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byHaruka Sato
posted2024/05/13 11:02
ALSOK秋田で仕事に奮闘中の辻内さん
辻内さんはその後、宮城県を拠点とした「レイア」のコーチを経て17年からは「埼玉アストライア」のヘッドコーチ、監督も務めた。18年オフに退任するまで5年間尽力した女子野球の世界では、“元ドラ1”のプライドもかなぐり捨てて営業活動を行うことも多かったという。
「試合のPRをするために、駅の改札で選手たちと一緒にチラシを配ったり。そんなことまでやるのか、と思いました。居酒屋に飛び込んでチケットの営業をしたこともありました。もともと前に出たいタイプじゃないので恥ずかしくて……。でも選手より売り上げが少ないと面目が立たないので腹を括ってやりました。『辻内です! 買ってください』って。見知らぬ人から『辻内、何やってんだ?』って言われて。地獄でしたけど、そんな経験もできたので自分の中ではすごく成長したと思います」
ハローワークで探した仕事
2018年オフに退団後、辻内さんは夫人の実家がある秋田市に移り住むことを決断する。夫人と子供二人と過ごす時間を大切にしたいという思いからだった。とはいえ、知り合いもおらず、仕事のあては全くない。向かった先は市内のハローワークだった。
「失業保険の手続きをして、普通にハローワークで仕事を探しました。最初はスポーツ関係で調べていたんですけど、ALSOKの求人票を見た時に現金輸送業務というのに興味を持ったんですよ。よく街中で警棒を持った制服姿を見るけれど、ああいう感じなんだろうか、って。ちょっと変わった仕事というか、今までやったことのない仕事をしてみようと思って応募しました」
「巨人軍」の履歴書に社内騒然
所定の履歴書を送り、面接を受けた。当然、ALSOK秋田の社内は色めき立った。「経歴」の欄に平然と「大阪桐蔭高校」、「巨人軍」という文字が並んでいたからだ。「あの辻内か? 本人か?」と大騒ぎだったと、辻内さんの上司が楽しそうに振り返ってくれた。
「僕としては当然のつもりでしたが、最初は確かに驚かれました。でも入社してからは仲間として普通に受け入れてくれて、毎日仕事が楽しいんです」
現金輸送の仕事も6年目を迎え、制服姿も板についてきた。一方で、野球との新しいつながりもできた。昨年は秋田県内で行われたキャッチボールイベントに参加し、元ヤクルト監督の古田敦也さんらと共に子供たちと触れ合った。今年2月には、男鹿市で小中学生を対象とした投球障害予防教室に参加。講師として自身の経験を語るとともに、故障予防の大切さを説いた。