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「巨人ドラ1」がハローワークで職探し→履歴書の「巨人軍」に社内騒然…「辻内です!買ってください」飛び込み営業も、辻内崇伸の「第二の人生」
posted2024/05/13 11:02
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Haruka Sato
2013年10月1日。巨人から戦力外通告を受けた瞬間、辻内さんは「痛みから解放されて、肩の荷が下りるような思いだった」という。甲子園のスターから“巨人のドラ1”となり、故障と闘い続けたプロでの8年間はそれほど過酷な月日だったのだ。前年の12月には結婚しており、当時愛妻のお腹の中には第一子がいた。
「夏頃から覚悟は決めていましたから、戦力外通告を受けて家に帰って報告した時はお互いに『お疲れさま』という感じでした。(夫人の反応は)『頑張ったね』という感じで、そこからはセカンドキャリアに向けて気持ちを切り替えていこう、という感じでした」
「腹膜が破れて死にかけた」
一軍登板なしに終わったプロ生活だったが、もがき続けた日々は多くの人との縁という財産を残してくれていた。第二の人生に踏み出そうとした時、辻内さんの元には様々な仕事の誘いがあったという。
「引っきりなしに食事の誘いが来て、それこそ毎晩色々な会社の社長さんなんかと外食していたんです。そうしたら盲腸になって、腹膜が破れて死にかけたんですよ。普通、盲腸って痛いんですよね? でも全然痛くなかったので気づくのが遅れて、破れて高熱が出た。ちょうど妻が出産に備えて実家に帰っていたので自分で運転して病院に行ったら、即入院して手術という状態でした」
とんだ第一歩となった人生の再出発は、意外な方向へ転がっていく。当初は不動産関係の仕事に就く予定だったが、入院中に仕事の誘いを受けた女子プロ野球に興味を持った。2010年に立ち上がったばかりのJWBL(日本女子プロ野球リーグ、当時)の「イースト・アストライア」のコーチに就任。同時に、JWBLをサポートする企業「わかさ生活」の社員になった。
「辻内です! 買ってください」
「それまで女子野球のリーグがあるということも知らなかったです。プロ野球のように出来上がった環境ではなく、これから作り上げていくんだ、というスタートに関われたことは良かった。彼女たちは野球に対して本当に熱い気持ちを持っているんです。でも観客はまだ少なくてなかなか技術もついてこない状況もある。いい勉強になったと思います」