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8年間で一軍登板ゼロ、怪我に泣いた巨人ドラフト1位が戦力外通告を受けた日「ホッとしました」「最後のマウンドは投げられる状態じゃなかった」

posted2024/05/13 11:01

 
8年間で一軍登板ゼロ、怪我に泣いた巨人ドラフト1位が戦力外通告を受けた日「ホッとしました」「最後のマウンドは投げられる状態じゃなかった」<Number Web> photograph by Koji Asakura

巨人でのルーキーイヤー。豪快に投げ込む辻内

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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Koji Asakura

 大阪桐蔭高時代にMAX156kmをマークし、2006年にドラフト1位で巨人に入団した辻内崇伸さん。2013年秋に現役引退し現在は秋田県で現金輸送の仕事に励む左腕に、壮絶な怪我との闘いと8年間のプロ生活、そして第二の人生について聞いた。〈全3回の2回目/続きを読む〉

 2007年2月、プロ2年目の怪物左腕に悲劇が訪れた。初めて経験する一軍キャンプの投球練習中に、以前から違和感を抱えていた左肘が動かなくなったのだ。宮崎キャンプを離れて向かった病院で受けた診断は「左肘関節内側側副靭帯断裂」。手術は避けられなかった。

「球団と話し合って、手術を受けることにしました。当時まだトミー・ジョンについて日本人投手の例は少なくて、19歳の僕は誰にも相談できなかったです。過去に成功したのが桑田真澄さんで、『こぼれ落ちた一球』という本で壮絶なリハビリのことなどを知りました」

左肘手術…進まないリハビリ

 本に書かれていた以上の辛い毎日が辻内さんを待っていた。同年4月に手術を受けた後から始まった長いリハビリは遅々として進まなかった。

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「しんどかったですね。ボールを持てないままシーズンが終わって、キャッチボールを始められるようになったのは翌年から。グラウンドに行ってもみんなが野球をしている横で走ってばかり。走ってウエートしてリハビリという毎日が本当に辛かった。投げたい、という思いの反面、投げたら痛いんだろうなっていう気持ちもあって……」

 08年夏にはイースタン・リーグで実戦復帰。22球を投げ、ストレートはいきなり150kmを計測した。「順調です。来年こそは一軍で投げたい」。試合後、取材にはそう口にしていたが、実際には翌日からまた、痛みで肘が上がらなくなっていた。

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