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「166cmの小柄な身体で198cmの相手に…」引退発表のラグビー日本代表・田中史朗 ベテランラグビー記者が振り返る“衝撃の1シーン”の記憶 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/04/26 17:00

「166cmの小柄な身体で198cmの相手に…」引退発表のラグビー日本代表・田中史朗 ベテランラグビー記者が振り返る“衝撃の1シーン”の記憶<Number Web> photograph by JIJI PRESS

田中史朗の引退会見には日本代表での戦友でもある松島幸太郎と松田力也もかけつけ、涙と笑顔の会見となった

 相手がどんなに強敵であっても戦う意欲を失わず、立ち向かう田中の姿勢はやがてラグビー日本代表のチームカルチャーとなり、2015年ワールドカップでの南アフリカ撃破、2019年ワールドカップでの8強進出へと繋がっていった。

 引退を決めた理由も、そんな田中らしい言葉で語った。

「(2019年の)日本代表が終わって、何年もプレーしていて身体もキツかったことと、下からも良いプレーヤーが育ってきているのが悲しくもあり嬉しくもあり、日本ラグビーがレベルアップしている中で、自分が今のパフォーマンスで現役を続けていていいのか、ずっと考えていました」

 自分の後を担う若手が育ってきたときの心境を、あえて「悲しい」と表現する。自分の中の大人げない、生の感情を隠しもせずに言葉にする。それが田中史朗なのだ。2013年のウェールズ戦の前には、NZから帰国して日本代表に途中合流するとすぐに、チームを包む緩い空気に苦言を呈した。練習中でも試合中でも、ダメだと思ったときは遠慮しない。波風は立てずにおこう、まずは穏当に……そんなことを考えて、負けてしまったらもう取り返しがつかないからだ。

 そんな田中だから、2011年ワールドカップで惨敗した責任という矢印を自分に向け、その重責を跳ね返すためにNZへ挑戦し、日本人で初めてのスーパーラグビー選手の座を掴み、さらに日本代表を2019年W杯で世界8強の座へと引き上げることができた。

日本ラグビーのひとつの時代の終焉

 田中のような涙は見せなかったが、田中と同じ2012年にスーパーラグビーへ挑戦する道を選んだのが堀江翔太だ。田中とともにオタゴ代表でのプレーを経て、田中がハイランダーズと契約した直後にオーストラリアのレベルズと契約。スーパーラグビーでのデビューは時差の関係で田中が数時間先だったが、2人は日本のラグビー選手が世界で互角に戦えることを証明し、世界で戦い続けてきた。その堀江は今季の開幕前にすでに、シーズン終了後の現役引退を発表している。日本ラグビーが世界に伍して戦えるようになった、分厚い壁に風穴をあけた2人はこの春、揃ってスパイクを脱ぐ。

 日本ラグビーのひとつの時代が終わる。

 次の時代が始まろうとしている。

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