ラグビーPRESSBACK NUMBER
「166cmの小柄な身体で198cmの相手に…」引退発表のラグビー日本代表・田中史朗 ベテランラグビー記者が振り返る“衝撃の1シーン”の記憶
posted2024/04/26 17:00
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
JIJI PRESS
その呟きに、会見場は笑いに包まれた。
「せっかくガンバって泣かんとったのに……」
4月24日に行われた、田中史朗の引退会見。冒頭の挨拶では声を詰まらせながらも涙は出さずに乗り切った。その後の質疑応答では質問者の目をまっすぐ見据えてひとつひとつの質問に丁寧に答えた。指導者を目指す上で心がけることを聞かれれば「厳しさ」をまっさきにあげ、子どもたちへ伝えたいことを問われれば「世界は甘くない。日本だけが努力しているわけではない」と、世界と戦ってきた覚悟を踏まえて答えた。
そんな田中だが、質問タイムとフォトセッションが終わったとき、サプライズで日本代表の後輩、松島幸太朗と松田力也が花束と記念品を手に現れた瞬間、涙腺は崩壊。目頭を押さえてうつむき、冒頭の台詞を発したのだった。
ラグビー日本代表のスクラムハーフ(SH)としてワールドカップ3大会に出場、日本代表キャップ75、日本人初のスーパーラグビープレイヤーであり、歴史に残る2015年ワールドカップの南アフリカ撃破、2019年日本大会での8強進出……その勲章を挙げればキリがない。だけど、田中フミといえば、思い出すのは「涙」だ。
「ラグビー人気を自分たちが落としてしまった」
記者が忘れられないのは2012年の秋、スーパーラグビーのハイランダーズと契約できたことを報告した囲み取材での涙だ。
その前年、ニュージーランド(NZ)で開かれたワールドカップに田中は初めて出場したが、日本代表は3敗1分とひとつの勝利も挙げられず、帰国した成田空港には出迎えのファンもメディアもいなかった。そのとき田中は「日本ラグビーの人気を自分たちが落としてしまった。これを元に戻すのが自分たちの責任」と誓っていた。
日本人が海外で戦えることを実証するため「世界最高峰リーグ」「ラグビー版メジャーリーグ」スーパーラグビーへの挑戦を所属していたパナソニック首脳陣に直訴し、2011年のシーズン終了後にNZへ。三洋電機時代からペアを組んでいたトニー・ブラウン(のち日本代表アシスタントコーチ)の伝手を辿ってダニーデンのローカルクラブでプレーし、ITMカップ(NZ国内選手権)オタゴ代表でのプレーを経てハイランダーズとの契約を勝ち取り、エディー・ジョーンズHC就任1年目の日本代表に遅れて合流したのがその日だった。