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15歳でドラフト指名、20歳で戦力外…辻本賢人の阪神入団は“失敗”だったのか?「先輩たちの愛を感じました」本人が明かす“現役時代の真実” 

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酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/04/08 11:02

15歳でドラフト指名、20歳で戦力外…辻本賢人の阪神入団は“失敗”だったのか?「先輩たちの愛を感じました」本人が明かす“現役時代の真実”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2005年6月、阪神鳴尾浜球場で。16歳の辻本賢人はタテジマのユニフォームに袖を通してマウンドに立った

「もし腫れ物扱いされていれば、何も覚えなかった」

 辻本がルーキーだった2005年、一軍はリーグ優勝を果たした。金本知憲や今岡誠、井川慶や藤川球児ら球界を代表するスター選手がひしめいていた。二軍もまた、この年からウエスタン・リーグを連覇するなど、チーム全体が常勝期に入りつつあった。

 一軍選手にとって「15歳のプロ野球選手」など、気にも留めない存在である。だが、辻本が野球に真摯に向き合う姿勢を見せると、タイガースの先輩たちは壁を作らず、彼の思いを受け止めた。

「『15歳で指名されることは当たり前じゃないよ。高校でも大学でも、ふるいにかけられて、何とかプロ野球選手になれるものなんだよ』って、よく先輩には言われました。『すべてにおいてハングリーさが違う』ってね。それは嫌味じゃなく、僕のことを思って言ってくれていると感じていました。そんな中で、ちょっとずつ怒られるようになっていったんです。片づけから挨拶から、シンプルなことができなかったですから。ホント、よく怒られましたよ。もし腫れ物扱いされていれば、僕は一生、何も覚えなかったと思います。怒ってくれる人や引きずってでも助けてくれた人からは、愛を感じました」

 かつて「神童」ともてはやされ、将来を嘱望されたが、低迷が長く続くと、メディアなど、周りにいた人たちは波が引くように去っていった。辻本は挫折し、夢破れた。「15歳のプロ野球選手」は失敗だった。それが、彼の阪神での5年間に抱く世間の印象である。

 それにしても、「愛」などという言葉を取材で聞いたのはいつ以来だろう。不遇の時間を過ごしていたはずなのに、さらりとそう言った。

「球団の方には、すごく我慢していただけたという気持ちが強いです。もしも、僕がコーチだったり、編成部にいればもっと憤っているはずです。15歳で指名して世間の目もあるのにずっと故障ばかりして、もっとシャキッとせえよと。そうキツく言っているはずなんです。でも、怒る時は怒る、突き放す時は突き放すといった感じで、あの時の皆さんは大人の対応をしてくださいました」

 戦力外を伝えられた時、球団から意外な打診を受けた。

「通訳をやってみる気はないか」

 辻本は思わず耳を疑った。

 また人生の分かれ道がやってきた。

<続く>

#3に続く
「こういう道もあるんや」あのドラフトから20年…元阪神・辻本賢人35歳が手にした“本当に大切なもの”「いまの方が球も速いんちゃうかな」

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