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15歳でドラフト指名、20歳で戦力外…辻本賢人の阪神入団は“失敗”だったのか?「先輩たちの愛を感じました」本人が明かす“現役時代の真実”
posted2024/04/08 11:02
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
JIJI PRESS
15歳でのプロ入りは“時期尚早”だったのか
「15歳のプロ野球選手」が誕生したのは今から20年前である。2004年11月に阪神からドラフト8巡目で指名された辻本賢人は、タイガースでの日々をこう振り返る。
「自分の人生の中で起きたことやと、ホンマに思えないというのが、正直な話なんです。ホンマに自分やったんかなと。全然、違う人生やったように感じることがあるんです」
神戸出身の彼は、遠くなった昔のことを柔らかい関西弁でよどみなく話す。
あの時、周囲の期待に反して、辻本には厳しい現実が待っていた。年表風にまとめると、その苦闘ぶりが滲み出る。
05年 二軍戦5試合登板 0勝1敗 防御率11.37
06年 体作りのため公式戦登板なし
07年 二軍戦9試合登板 0勝0敗 防御率3.24
08年 二軍戦11試合登板 0勝0敗 防御率3.65 オフに育成選手契約
09年 第5腰椎疲労骨折のため公式戦登板なし オフに戦力外通告
結論から言えば、辻本は阪神で大成しなかった。5年間はもっぱら二軍暮らしで、ウエスタン・リーグ25試合の登板にとどまった。力を発揮できないまま、タテジマのユニフォームを脱いだ。やはり、体力不足と判断し、「プロ入りは時期尚早」と懸念する声が正しかったのだろうか。
だが、辻本は否定する。
「ずっとしんどかった思い出があります。5年間で、4年はケガをしていた感覚でしたね。そこは辛かったです。でも、まだ体ができてないのにプロ入りしたからだとは思っていません。当時から、僕の10倍くらいの練習量をこなしている高校野球の子もいっぱいいました。僕は球数も全然、投げていませんでしたし、ただ単純に体の使い方がヘタで、潰れるのが当たり前だったんです。未熟なのと、技術不足と。だから、誰かのせいでこうなってしまった、という感情は一切ないんです」
話を聞きながら、初めて彼を見た日のことを思い出していた。05年1月、兵庫県西宮市の鳴尾浜球場で行われた新人合同自主トレには、自由獲得枠の能見篤史や岡﨑太一らに混じって、辻本の姿もあった。丸刈りの彼は青白い顔をしていて、寒さのため、頬が上気して赤くなっていた。