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「こういう道もあるんや」あのドラフトから20年…元阪神・辻本賢人35歳が手にした“本当に大切なもの”「いまの方が球も速いんちゃうかな」
posted2024/04/08 11:03
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Kiichi Matsumoto
復活へと導いた「藪さんの誘いとジェフの助言」
「通訳をやってみる気はないか」
阪神に15歳で入団した辻本賢人は戦力外になった時、まだ20歳だった。球団からの申し出に感謝しつつ、戸惑ったのも確かだ。この世界に飛び込んで、まだ何者にもなれていない――だから、打診も受け入れられなかった。
2009年秋、12球団合同トライアウトを2度受けたが、130kmをわずかに超える球速はアピールに欠き、オファーは届かなかった。
「僕はあの時、正直、野球を続ける気力はなくなっていたんです。一人だったら、絶対に辞めています」
希望を失い、出口が見えない暗闇を彷徨う中、救いの手を差し伸べてきたのは阪神OBの藪恵壹だった。
「思い切ってアメリカに行ってやればどうだ」
10年2月、辻本が藪とアリゾナに行くと、阪神で活躍後、左肩の手術から再起を期すジェフ・ウィリアムスがいた。
辻本はかつての同僚に言われた。
「横から投げてみたらいいんじゃないか」
ウィリアムスは最強リリーフトリオJFKの一角として05年の優勝に貢献した、サイドスロー左腕である。試しに横から投げてみた。すると痛いはずの体がなんともなかった。
「タイガース時代の最後が一番、悪かった時期でした。横から投げて球が走るようになりましたし、いままで考えすぎていた部分であったり、変に追いかけていた部分を捨てて、初めて純粋に野球をできました」
最速151kmの速球でメッツとマイナー契約
人が変わるキッカケは近くにある。
やがて球威が蘇った。唸るようなストレートは最速151kmを計測し、打者を圧倒するようになった。独立リーグでゴールデンベースボールリーグのマウイからドラフト1位指名され、主力として活躍。32試合に投げて3勝2敗、防御率2.88と奮闘した。34回1/3を投げて奪三振は48個。1年前までとは見違える姿を見せた。
「まだ拾ってくれる球団があるんやったら、野球をやろうと思いました」