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格闘技PRESSBACK NUMBER
「もう誰も勝てない」ピーター・アーツが“20世紀最強の暴君”だったころ…カメラマンが見た“明るすぎる素顔”「ピーター、真面目にやってくれ」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2024/03/23 17:10
“20世紀最強の暴君”と称された若き日のピーター・アーツ。スタジオ撮影の現場はいつも笑いが絶えなかった
アーツの名前がキックボクシング関係者の間で知られるようになったのは、来日する直前の試合でモーリス・スミスに勝利したことによる。スミスは8年間無敗のキックボクサーで、日本でも多く試合をしていた。当時はまだインターネットが普及しておらず、動画はもちろん、試合内容に関しても詳細な情報を得ることはできなかった。我々が唯一知り得たことは、あのスミスがオランダの若者に負けたということだけだった。
まだ見ぬ若き強豪――その実力を知るために、私も試合会場の有明コロシアムへ足を運んだ。アーツはヘビー級でありながらもスピーディーで、技に切れがあった。世界を代表するスター選手になることは、誰の目にも明らかだった。私はこれ以降、彼のほとんどの試合を撮影する機会に恵まれた。あれから32年が過ぎ、いまは彼の子供たちの試合を撮影している。彼らに現役時代のアーツの姿をオーバーラップさせながらシャッターを押せることは、写真家として何よりの喜びであり、愉しみでもある。
「誰もアーツに勝てない…」KO率8割で怒涛の20連勝
1992年の秋、正道会館の石井和義館長が、10万ドル争奪世界最強トーナメントの開催を発表した。後にK-1となる大会で、アーツもその出場者リストに入っていたはずである。
1993年4月30日に記念すべき第1回『K-1 GRAND PRIX』が開催され、世界中から8人の選手がエントリーされた。優勝候補は直近の試合で、スミスとの再戦をKO勝ちしたアーツが最有力。しかし、彼はホーストに判定負けし、1回戦で姿を消す。優勝したのはアーツと同門で、クロアチア出身のブランコ・シカティック。38歳のシカティックは全試合をパンチによるノックアウトで決めてみせた。
トーナメント戦7試合のうち、5試合がKO決着。K-1は予定調和が一切なく、予想不可能な戦いだった。一発で試合が決まってしまう、まばたき禁止のヘビー級の試合――我々は見たことも経験したこともない世界を知ることになった。観客は酔いしれ、興奮し熱狂した。いままでのキックボクシングにはない、新たな価値観をK-1から感じたのだ。
勢いに乗ったK-1は、その後もワンマッチの大会を継続して開催。1994年4月には、その頂点を決める第2回の『K-1 GRAND PRIX』が行われた。アーツは前年の轍を踏まぬよう、試合間隔を考慮しながらこの大会に照準を合わせてきた。