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格闘技PRESSBACK NUMBER
「もう誰も勝てない」ピーター・アーツが“20世紀最強の暴君”だったころ…カメラマンが見た“明るすぎる素顔”「ピーター、真面目にやってくれ」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2024/03/23 17:10
“20世紀最強の暴君”と称された若き日のピーター・アーツ。スタジオ撮影の現場はいつも笑いが絶えなかった
グランプリ3連覇を逃したアーツだったが、ベルナルドへの借りを返す機会がすぐにやってきた。だが4カ月後の再戦では、1ラウンドでローブローによるアーツの反則負けに。お互いがこの結果に納得していないということで、翌月に再びベルナルドと戦うが、右フックでKOされた。同じ相手にまさかの3連敗を喫し、1996年は彼にとっては最悪の年になってしまった。
「最高の試合だった」アーツ自身が選ぶ“ベスト”とは?
しかし、26歳と若いアーツは復活を決意する。暴飲暴食を控え、練習環境も変えた。翌97年3月には前年度グランプリ王者のアンディ・フグにKO勝利。11月のグランプリ準々決勝でベルナルドをKOして、リベンジ達成。準決勝こそフグに判定で敗れてベスト4止まりだったが、いよいよ強いアーツが戻ってきたのだった。
この年からK-1は名古屋、大阪、東京と3大ドームツアーをスタートする。名古屋では注目度の高いワンマッチ、大阪では『K-1 GRAND PRIX』の開幕戦、東京ではグランプリのトーナメント決勝戦がそれぞれ行われた。また、例年だと決勝大会はゴールデンウイーク中に開催していたが、K-1の1年間の総決算ということで、年末開催に変更された。同会場でのイベントは2006年まで毎年続けられ、ファンの間でも定着し、格闘技界の恒例行事となった。ちなみに東京ドームでの最高動員記録は、2002年12月7日に行われた『K-1 WORLD GP 2002 FINAL』の7万4500人。ボブ・サップが大ブレイクしたときのことで、この記録は未だに破られていない。
1998年12月13日の『K-1 GRAND PRIX』で、アーツは3度目の頂点を極めた。いまでもはっきりと覚えている、ビクトリーロードを誇らしげに歩くその姿を。
アーツ自身に聞いたところ、彼自身の長いキャリアのなかでも、98年のグランプリこそがベストの大会だと答えている。
「僕のお気に入りは1998年のトーナメントだ。3人全員(佐竹、ベルナルド、フグ)をすべて1ラウンドでノックアウトしたからね。あのときのことは忘れられない。どれも最高の試合だった」
いつもは明るい笑顔で周りの人たちもハッピーにさせるアーツだが、一度だけ彼が人目をはばからず、大泣きしている姿を見たことがある。それは2000年の晩夏のことだった。
<続く>