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あのヒクソン・グレイシーがパーキンソン病に…“最強”に魅せられたカメラマンが明かす素顔と“会心の1枚”「朝起きるたびにこの写真を…」

posted2023/08/19 17:01

 
あのヒクソン・グレイシーがパーキンソン病に…“最強”に魅せられたカメラマンが明かす素顔と“会心の1枚”「朝起きるたびにこの写真を…」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

1990年代の格闘技シーンを牽引したヒクソン・グレイシー。ヒクソン自身も「私の試合写真の中で間違いなくNo.1」と認める“会心の1枚”とは

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

2023年6月、パーキンソン病を患っていることを明かしたヒクソン・グレイシー。無敗のままキャリアを終えた“伝説の格闘家”は、負けられない戦いや過酷な運命とどのように向き合ってきたのか。30年来の親交があるフォトグラファーの長尾迪氏が、過去に撮影した写真とともに、ヒクソンの知られざる素顔をつづった。(全2回の1回目/後編へ)

ヒクソンが「強さ」のアイコンだった時代

「2年前にパーキンソン病と診断された」

 今年6月、ヒクソン・グレイシーが遠縁にあたるキーラ・グレイシーのインタビューに応じ、自らの病気と症状を公表した。

 ヒクソンが日本で試合をしたのは1994年から2000年までの6年間で、5つの興行に出場。試合数はトーナメントも合わせて9試合、そのすべてが一本もしくはKO勝ちだった。だが、彼の凄さは試合内容だけではない。試合に臨む姿勢や佇まい、彼が発する言葉、対戦相手へのリスペクトなど、常に真摯なその人間性が、日本における格闘技の地位向上に大きな役割を果たした。

 当時はMMAの黎明~発展期であり、テレビの地上波番組や一般メディアはヒクソンを「強さ」のアイコンとして取り上げた。あれから四半世紀が経つが、業界を牽引した彼の功績と影響力は現在も色あせることはない。私がもっとも大好きで尊敬する格闘家は、いまもヒクソン・グレイシーである。

弟ホイスが語った「兄は私の10倍強い」

 私が彼を初めて見たのは1994年3月、『UFC 2』が行われたコロラド州デンバーだった。ホイス・グレイシーのメインコーチとして来場したヒクソンは、他のセコンド陣とは明らかに違うオーラをまとい、ただならぬ存在感を放っていた。

 前年11月の『UFC 1』でホイスが優勝した直後とはいえ、当時はグレイシー柔術やグレイシー一族のことはほとんど知られていなかった。しかし、ホイスの「兄のヒクソンは私の10倍強い」という発言により、一気にヒクソンの名前は世の中に知られるようになる。

 個人的には1994年7月の試合後にインタビューをして以来の付き合いで、翌年の試合直前の長野合宿の撮影も任された。メディアの取材撮影を含めて、彼が来日するたびに顔を合わせる関係だった。

 私はヒクソンの病名を聞いたとき、彼に晩年のモハメド・アリの姿を重ねた。パーキンソン病は、脳の指令を身体に伝えるドーパミンが減ることにより、筋肉に硬直や震えがおきて、様々な運動障害を引き起こす。ヒクソンはまだ63歳だ。哀しいというよりも、「あのヒクソンが……」という驚きの方が大きかった。

【次ページ】 「死ぬには良い日だ」ヒクソンの鮮烈な記憶

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ヒクソン・グレイシー
ホイス・グレイシー
高田延彦
モハメド・アリ

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