“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「お酒に逃げた」25歳で引退した堂安律の“元相棒”が初告白…“遠藤保仁の後継者”と呼ばれた天才パサーの後悔「なんであんな行動したんやろ」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2024/03/12 17:00
現在、指導者としての活動する市丸瑞希(26歳)。U-20W杯では堂安律や久保建英と共に日の丸を背負った
「日本のメッシ」と世界から注目を集めた堂安は、この大会直後にオランダのフローニンゲンへ移籍。同シーズンで市丸が出番を掴んだのはスタメン出場した8月のJ1第22節ジュビロ磐田戦のみだった。さらにU-20日本代表で一緒にプレーをしていた冨安や久保、板倉滉、中山雄太らも続々と海を渡った。順調に階段を登る仲間たちを尻目に、市丸は俯きはじめる。
「ずっと、俺はもっとできるのに、周りはなんでこんな評価してくれへんのやろなと思っていました」
ベンチを温めるのは良いほうで、ベンチ外になる日も増えた。スタンドから試合を見つめていても、原因の矛先は自分ではなく周りに向けていた。
「守備が課題と指摘されていたのですが、自分の中では『攻撃で違いを見せたらいいやろ』と思っていた。試合を見ていても味方に対して『なんでそこに(パスを)出さへんねん』『俺やったら絶対にこのタイミングで出していた』と思っていましたし、その度に『俺を使ったら、チームを勝たせられるのにな』とも思っていました」
今ならわかる「ヤットさんの守備」との違い
それでも、前向きにサッカーに向き合っていられたのは、目標としていた遠藤保仁の存在があったからだ。
「(練習で敵として対峙したとき)ヤットさんは僕がパスを出したい場所に必ず立っていたんです。だから、いつもプレーをキャンセルせざるを得ない。僕もヤットさんのように、自分でボールを奪えなくても、他の選手がボールを奪えるようにするためにポジションをとることは意識していました。
でも、ヤットさんの守備は評価されるのに、僕の守備はいつまで経っても評価されない。今、思えばヤットさんはかなりハードワークしていたんです。そこには気づかずに『なんでやねん』と不貞腐れていて」