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急逝した父に誓うJ1清水入り 早稲田が誇るパワー系ストライカー加藤拓己に鄭大世から激励メッセージ
posted2020/11/19 17:01
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
11月19日、清水エスパルスは早稲田大学3年のストライカー・加藤拓己の2022年シーズン加入内定を発表した。
「J1の18クラブから声がかかったとしても絶対に清水を選んだし、清水に貢献したい」
新人選手らしからぬ力強い言葉には、高校時代の悔しい思いが重なっている。
実は今から3年前、加藤は清水に一度振られていた。在学していた山梨学院高校の安部一雄前監督から「清水はダメだった。もう獲得する人数がいっぱいらしい」と伝えられ、目標であった“高卒プロ入り”の道が断たれていたのだ。
見返してやる――そんな気持ちも抱く年頃だろうが、むしろ加藤のなかでエスパルスへの愛情は日に日に大きくなっていった。それは、なぜか。今回は不器用にも愚直に邁進してきた彼のストーリーをお届けする。
アントラーズの下部組織出身
加藤は、父が鹿島アントラーズ創設当初からフロントスタッフとして働いていたこともあり、鹿島アントラーズジュニアつくば、ジュニアユースつくばで技を磨いた。「ロケットランチャー」と異名を取るほどのパワー系FWに成長した加藤だが、当時からすでにフィジカルとスピードは群を抜いていたという。往年のストライカー長谷川祥之にダイビングヘッドや空中戦の極意を学ぶなど、指導者にも恵まれる運も持ち合わせていた。
そんな少年時代、鮮明に覚えている記憶がある。テレビで観た、とあるJリーグの試合に釘付けになった。
「小学校低学年の時にテレビで見たフロンターレの試合で、相手DFの2、3人を吹っ飛ばしてゴールを決めたシーンがあって、鳥肌が止まらなかった。直感的に『僕もこういう選手になりたい』と思ったんです。そこからずっと競り合いを極めようと球際と空中戦は誰よりも貪欲に取り組み始めたんです」
この言葉で察する方がいるだろうか。後に加藤が「人生の師」と慕う、鄭大世(アルビレックス新潟)のプレーだ。重戦車のようにゴールに一直線に突き進み、一撃で仕留める「獰猛なストライカー」に自分の姿を重ね合わせていた。
山梨学院高のエースとして躍動
高校は山梨学院高校へ進学。厳しいユース昇格の争いを突破できなかったが、多くの名門校から声が掛かるほどの選手に成長。1年時は前田大然(横浜F・マリノス)と2トップを組むなど、着々と成長を遂げていた。
そんな矢先、中学時代に痛めた左手首から痛みが走るようになった。さらに高2の冬には左足首を剥離骨折。この怪我以降、加藤のフィジカルバランスにズレが生じ、徐々に思うようなプレーができなくなっていった。
ポストプレー、強烈なキック、そして格闘家のような屈強なフィジカルを持ちながらも、抜群のアジリティーとスピードを駆使して、ゴール前に飛び込んでいく。しかし、肝心のフィニッシュやラストプレーの時に足首と手首から激痛が走る。押しも押されもせぬエースとして君臨したが、春を過ぎてもプロからの誘いは届かなかった。