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“日本代表の強みと思いがち”だが露呈した弱点は、トルシエジャパン時代と同じ…「森保を批判するつもりはない。名波にはそれが可能だ」
posted2024/02/26 17:31
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Mutsu Kawamori
フィリップ・トルシエの単独電話インタビューの第2回である。現在の日本代表の戦略は、個の能力に依拠したものだとトルシエは第1回で指摘した。アジアカップで彼が率いたベトナム代表と、森保一監督が招集した選手たちの質の違いに触れつつも、コレクティブが武器とされてきたはずの日本について――ある独自の視点を提示した(全3回/第1回、第3回も)。
欠いているのは「コレクティブな方向性」
――戦略は個に依拠したままとの意見、その通りだと思います。
「選手を信頼し、選手に特定の役割を与える個に依拠した戦略。選手が役割を果たさないときには、他の選手をそこに配置して対処する。その選手もまた監督の信頼を得た選手だ。
私に言えるのは、コレクティブな方向性を欠いていたということだ。選手がコレクティブな役割を担ってプレーしなければならないのは、私にとって欠かせないことであり最優先事項だ。個はコレクティブの後に続く。選手があるポジションでプレーする際にも、担うのはコレクティブな役割だ。
攻めるにせよ守るにせよ、コミュニケーションを取るにせよ、プレスをかけるにせよそうだ。個が来るのはその後で、選手はコレクティブな役割を果たしてはじめて個のクオリティで違いを作り出す。第一に違いを作るのはコレクティブであって個の能力ではない。これは優先順位の問題だ」
トルシエが考える「日本固有のコレクティビティ」とは
――昨年、日本が連勝を続けている間は、日本のプレーはコレクティビティに依拠していると思われていましたが、実際にはそうではなかったということでしょうか?
「日本におけるコレクティビティとは、社会的な規律のことだ。日本のコレクティビティは監督を必要としない。日本社会を見たとき、日本人はコレクティブで他人を尊重して規律を保ち、秩序を守っている。日本人選手は味方によくパスを出すのがそれだ。
コレクティビティは日本社会のベースとなるもので、戦略ではない。それは教育によるもので、日本の若い世代のプレーを見ても、彼らはコレクティブにプレーしている。一方で、選手には個の力を発揮する自由が与えられていない。日本では、個はコレクティブに従属している。日本社会は個が他人よりも大きくなることを認めてはいない。