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“日本代表の強みと思いがち”だが露呈した弱点は、トルシエジャパン時代と同じ…「森保を批判するつもりはない。名波にはそれが可能だ」
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![田村修一](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
田村修一Shuichi Tamura
photograph byMutsu Kawamori
posted2024/02/26 17:31
![“日本代表の強みと思いがち”だが露呈した弱点は、トルシエジャパン時代と同じ…「森保を批判するつもりはない。名波にはそれが可能だ」<Number Web> photograph by Mutsu Kawamori](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/1/2/700/img_12a76982bdb8ced61e66f582627a0176248061.jpg)
日本代表の森保一監督と名波浩コーチ、齊藤俊秀コーチ。彼ら指導陣はアジア杯の敗戦からどのような指針を立てるか
日本に固有のコレクティビティは、トレーニングの必要なしに存在する。しかし監督が構築する戦略的なコレクティビティは、選手に役割を与えてトレーニングによってオートマチックなものにする。反復練習が必要なコレクティブなコミュニケーションであって、自然に出来あがるものではない。
日本のコレクティビティは、教育により自然に生まれるものだ。私がここで語っているコレクティビティとは、それではない。対戦相手に対してや、自分たちの選手の能力に応じた戦略だ。道筋を立てること、選手が迷うことのないオートマティズムを構築することは、コレクティブな仕事・練習により成し遂げられる」
方向性を規定し、プランを実現するのは監督の役割だ
――アジアカップで目にしたのは久保建英や堂安律の個のプレーであって、あなたが今、語ったコレクティビティを日本は欠いていたのですね。
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「繰り返すが、ナチュラルなコレクティビティは日本社会に存在する。日本代表監督当時の私は、それを常に批判してきた。なぜそこでパスを出すのか、ボールをキープするのかといった個人としての判断力を選手は欠いている、と。
それは教育によって子供たちが身につけたコレクティビティであり、サッカーにおいても確固として存在している。その意味で日本はコレクティブなチームだと言える。しかし戦略的なコレクティビティではない。
私の語るコレクティビティは、プレーの状況や対戦相手、プランなどに応じたもので、どう相手のプレスを回避するか、どうやってサイドでプレーを展開したり、相手を走らせるか。問題を解決するため、スペースを作り出すためにどれだけ我慢すればいいかといったものだ。それにはトレーニングでオートマティズムを得る必要がある。また反復可能である必要もある。
こうした戦略には方向性が不可欠であるし、オーケストラの指揮者が必要だ。方向性を提示できるガイド――チームの方向性を規定し、プレーのプランを実現するのは監督の役割だ」
森保を批判するつもりはない。名波にはそれが可能だ
――日本は名波浩コーチが攻撃を、齊藤俊秀コーチが守備を実際に担当していますが、彼らの仕事が十分ではなかったのと、オーケストラの指揮者として森保も仕事を十分に果たしていなかったということでしょうか?