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“日本代表監督白紙”で激怒「話すことはない。ただ」“腐ったミカン事件”と本田圭佑17歳の「ギラギラした」才能…ネルシーニョ本人が告白
posted2024/02/24 11:02
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Kazuaki Nishiyama/JIJI PRESS
フットボール王国ブラジルで名門コリンチャンスを率いて国内リーグを制覇した男は、1994年、Jリーグ創設2年目の日本へ舞い降りた。ヴェルディ川崎で、「コーチ」の肩書ながら事実上の監督として、ヴェルディにとっての2連覇に貢献した。
柱谷とビスマルクの“大喧嘩事件”について聞くと
――94年のシーズン終了後、松木安太郎が退任し、あなたが正式に監督となりました。そのいきさつは?
「クラブから契約延長を求められた際、私は『名実ともに監督として扱われること』を条件に挙げた。彼らは『あなたの仕事ぶりには大変満足している』と語り、この要求を全面的に受け入れた」
――95年は前期こそ僅差の2位でしたが、後期は圧倒的な強さで優勝しました。
「私のチーム作りの方針と戦術が浸透していった。MFラモス(瑠偉)、CBペレイラ、MF柱谷(哲二)、カズ(三浦知良)、MFビスマルクら以前からのメンバーにFWアルシンドが(ライバルの鹿島アントラーズから)加わり、充実した戦力だった」
――この頃だと思うのですが、ある試合の前半、柱谷とビスマルクが大喧嘩をして、ハーフタイムにロッカールームで殴り合いになりかけた。すると、あなたはその2人を諫める代わりに激怒して、黒板をぶっ倒した。その迫力に選手全員が静まり返り、冷静さを取り戻したとか……。
「そんなこと、あったかな(笑)」
――荒くれ男たちの集団をまとめるには、時として演技も必要なのでしょうか?
「いや、私は演技なんかしない。いつも本気だ(笑)」
あの事件、一部の人が私とクラブに対して…
――この年の後半、いわゆる「ネルシーニョ事件」が起こります。「日本サッカー協会(JFA)の強化委員会が日本代表の加茂周監督との契約延長を見送り、ネルシーニョを新監督候補にリストアップアップした」、「ネルシーニョとヴェルディ川崎の内諾を得て、条件交渉に入った」と各メディアで報じられた。ところが、JFAの長沼健会長がそれまでの経緯を白紙に戻し、加茂監督との契約延長を発表した。これに対してあなたが激怒し、『ミカンの籠の中には腐ったミカンが2つや3つは入っているものだ』と吐き捨てました。
「ああ、あのことか……。あれはもう過去の話だ。今さら何も話したくない」
――しかし、あなたもヴェルディ川崎も気分をひどく害したのでは?