誰も知らない森保一BACK NUMBER
「僕と妻は高校時代の同級生です」日本代表・森保一監督が明かした“結婚生活”「“パチンコ好き”だった」アマチュア選手を変えた妻の存在
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/02/20 11:03
1993年10月のアメリカW杯アジア最終予選。森保は当時25歳。この3年前に森保は高校の同級生と結婚している
「高校時代といえば、今の自分を語る上でも避けて通れない人が一人いる。これは極めて個人的な話なのだが、やはり自分のこれまでの人生を振り返った時、絶対に欠かせない存在の人だけに、少しだけ触れさせてもらいたい。その人とは僕の妻のことである。実は僕と妻は高校時代の同級生なのだ。しかも、名字が同じ森保なのである。
(中略)妻にはさまざまな面でサポートしてもらいとても感謝している。この場を借りて、改めて感謝したい」
2人の出会いは長崎日大高校の特待生試験だった。森保がサッカー推薦だったのに対し、彼女は陸上推薦。県の100メートル記録を持っていただけでなく、容姿も端麗で、地元で有名な存在だった。入学後は同じクラスになり、高2の終わりに正式に付き合い始めた。そして1990年、マツダ入団4年目に結婚する。
「“ぽゆみちゃん”とマツダ同期で遊んだ」
森保が妻に救われたエピソードはあげたら切りがないと思われるが、代表例は社会人1年目、森保がホームシックにかかったときに大阪から駆けつけてくれたことだろう。
1987年春、高校を卒業した森保はマツダに入団して広島に、彼女はホテルの仕事について大阪に住み始めた。休日を利用して、たびたび広島に遊びに来てくれたという。
同期入団の利重忍(現在・広島市の飲食店「BAR GAJA」店主)は、よく一緒に遊んだメンバーのひとりだった。
「僕らは由美子さんのことを『ぽゆみちゃん』と呼んでいたんですよ。『ぽ』はもちろん『ぽいち』の頭文字です。ぽゆみちゃんは本当にしっかりしていて、森保を支えていた。彼女がいなかったら、ほんまに森保はどうなっていたかと思いますね(笑)。
ぽゆみちゃんが来ると、同期みんなで遊びに行くのが常でした。宮島の近くにあった遊園地やプールによく行きましたよ。
みんな運転が好きだったので、ドライブにもよく出かけました。呉の向こうに野呂山というところがあって、ワインディングロードの名所なんですよ」
ちなみに森保が車を買ったのは同期より少し遅かった。