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「泣きじゃくる妻を抱きしめた」大ケガに糖尿病、“命にかかわる心臓病”→給与未払い悪夢のち…ブラジル代表、J得点王になった男の逆転人生
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama/Getty Images
posted2024/01/22 11:02
浦和レッズ時代とブラジル代表時代のワシントン
「首都イスタンブールの空港に着いたら、大勢の人が到着ロビーを埋めて大騒ぎをしている。誰か国際的に有名な歌手か俳優でもトルコへやって来たのかな、と思ったら私を歓迎していたのだった。本当に驚いた」
すぐチームの攻撃の中心となり、国内リーグで17試合に出場して10得点。トルコでの生活にもプレースタイルにも順応し、絶好調だった。
ところが11月、突然、左胸に痛みを感じた。病院で検査を受けたところ、「心臓に重大な疾患がある」という診断で、手術を受けた。しかし、その後も胸の痛みは消えず、練習すらできない。
「私の家族には、心臓に問題があった者は誰もいない。糖尿病のときと同様、原因は不明だった。医師からは、『かなり珍しい難病で、またプレーできるかどうか、という以前に生命の危険がある』と言われた。絶望的な気持ちになり、妻と二人、毎日、涙を流しながら神様に祈った」
しかも、さらに忌まわしい事態が起きた。
「心臓の手術後、回復の見通しが立たなくなると、フェネルバフチェは一切、給料を払ってくれなくなった。治療の面倒も見てくれない。つまり、クラブから完全に見捨てられたんだ。日本では絶対にありえないことだけど、残念ながら、世界にはそういうクラブもあるんだ」
手を差し伸べるクラブは母国にあった
2003年1月、ワシントンは打ちひしがれてブラジルへ帰国した。それでも、病気を克服し、またピッチに立てることを願って、せめて治療を手助けしてくれるクラブを探した。
「以前、ポンチプレッタで指導を受けたバドン(注:2005年後半、東京ヴェルディを指揮)が当時、アトレチコ・パラナエンセの監督を務めていた。彼に相談したところ、アトレチコ・パラナエンセの会長と会えることになった。
私は、会長にこう訴えた。『これまでに、足を二度故障した。もうプレーできないだろう、と言われたが、復帰した。糖尿病も患った。そのときも同じことを言われたが、挫けなかった。そして、今度は心臓疾患だ。でも絶対に克服してみせます』」
これを聞いた会長は、「わかった。クラブとして君のカムバックを手助けしよう」と即答してくれた。
病院で検査を受けた結果、トルコで受けた手術にミスがあったことが判明した。再手術を受け、今度は成功した。数カ月のリハビリを経て、練習を再開。そして、2004年のプレシーズン合宿に参加した。
1年2カ月ぶりの試合に「号泣した」
そして、2月、パラナ州選手権の試合で1年2カ月ぶりにピッチに立った。