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「学法石川が遅れています!」NHK実況も困惑…2015年の学法石川“奇跡の世代”優勝候補だった都大路で起きたこと「箱根より報道陣が多かった」 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/01/20 17:01

「学法石川が遅れています!」NHK実況も困惑…2015年の学法石川“奇跡の世代”優勝候補だった都大路で起きたこと「箱根より報道陣が多かった」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ガクセキ“黄金世代”が優勝候補として臨んだ2015年の全国高校駅伝。結果は予想外のものだった

 のちにオリンピアンとなる相澤晃は、ケガや貧血に苦しんでいたが、秋に復調し5000mで13分54秒の自己記録をマークしている。

「それまでなかなか結果が出なかった相澤が13分台で走って、チームが結構勢いづいてきました」(田母神)

 12月には阿部も13分台に突入。遠藤も合わせて3人の13分台ランナーを擁することになった。まだ厚底シューズ革命が起こる以前の話だ。高校生でこのレベルのチームは前代未聞の事態だった。

 そんな状況では、注目と期待を集めるのも当然のことだっただろう。ガクセキがある地元の石川町では、全国高校駅伝で優勝した暁にパレードまで企画されていたという。ちなみに、8年の月日が経った2023年の暮れにも、彼らの特集番組が地元の福島テレビで放映されている。彼らが福島でいかにレジェンド的な存在かがわかるだろう。

「プレッシャーに弱いタイプのチームではなかった。注目されることで、気負いはなかったです。けっこう調子に乗るタイプが多かったですし」

 田母神に言わせれば、注目度の高さはむしろ力になったということだった。

「ふわふわしている感じがあった」

 ただ、下級生にとってはそうではなかった。半澤が振り返る。

「勘違いというわけではないですが、ふわふわしている感じがあった気がします。当時はピリッとしていると思っていたんですけど、今振り返ってみると……そんな気がします」

 当時の半澤は15歳から16歳になろうとしていた時期だ。

 過度な期待と注目を受けて、平常心を保つことは難しかったに違いない。また、冷静に振り返ってみると、チーム自体もまた浮ついていたように感じたという。

 その半澤は、駅伝を走れる最後の7人目のメンバー争いの渦中にあった。

 後に日大に進学して活躍する阿部涼、城西大に進む櫻田克、そして半澤の3人が7人目の候補だった。

「練習でも一緒ぐらいで、3人で競い合っていました。先生も迷っていたと思うんですけど、決定打になったのは12月上旬の日体大競技会の5000mでした。14分台の前半は出せる練習をしていたと思うんですけど、3人ともあまりよくなかったんですよね」(半澤)

 3人のうち14分43秒で半澤がトップに入る。そうして半澤が最後のピースに収まった。

【次ページ】 2区での仕切り直しに失敗…悪い流れを立て直せず

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